源 奉職(みなもと の とももと、天暦9年(955年) - 寛弘5年7月9日(1008年8月12日))は、平安時代中期の貴族。源清延または源清敏の子。官位は正四位下・河内守。
掃部允を経て、一条朝初頭の永延元年(987年)皇太后・藤原詮子の臨時給により従五位下に叙爵。一条朝にて、讃岐介・丹後守・河内守と地方官を歴任し、この間の正暦4年(993年)正五位下、長保3年(1001年)従四位下と昇進し、位階は正四位下に至った。長保元年(999年)奉職の館に藤原詮子が遷御している[1]。
寛弘5年(1008年)7月9日卒去。享年54。