源実基
平安時代中期の貴族・歌人
源 実基(みなもと の さねもと)は、平安時代中期の貴族・歌人。醍醐源氏高明流、権中納言・源経房の長男[1]。官位は正四位下・左近衛中将。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正四位下、左近衛中将 |
主君 | 後一条天皇 |
氏族 | 醍醐源氏高明流 |
父母 | 父:源経房、母:藤原懐平の娘 |
兄弟 | 実基、定良、良宗、藤原良頼室 |
妻 | 不詳 |
子 | 知綱、尋源、源俊房室 |
経歴編集
寛仁2年(1018年)11月に春日祭使を務め、摺袴を与えられる[2]。この当時左近衛少将。治安3年(1023年)還昇されている[3]ため、これ以前に昇殿を許されていた。同年中には四位に昇っている。後、右近衛少将に転じ、万寿3年(1026年)頃には右近衛中将に任ぜられる。さらに長元2年には左近衛中将に転ずる。
長元5年(1032年)に内大臣・藤原教通の次男・通基、三男・信長が元服した際に、左近衛中将・藤原良頼と共に理髪を務めた[4]。美濃守を経て、最終的には正四位下まで昇った[5]。
歌人としても活躍し、『千載和歌集』に歌が残っている。