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源 師仲(みなもと の もろなか)は、平安時代後期の公卿歌人村上源氏権中納言源師時の三男。官位従二位・権中納言。伏見源中納言と呼ばれる。

 
源師仲
時代 平安時代後期
生誕 永久4年(1116年
死没 承安2年5月16日1172年6月9日
別名 伏見源中納言
官位 従二位権中納言
主君 後白河上皇二条天皇六条天皇高倉天皇
氏族 村上源氏
父母 父:源師時、母:源師忠
兄弟 師仲師清師行師任師基師親
光清娘・紀家子
雅仲
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経歴編集

後白河上皇院政に参画、その一翼を担う有力な廷臣となるが、信西と対立したためその政敵である藤原信頼に接近する。信西打倒のための武力蜂起計画が進行する過程で、伏見の自領を信頼の武芸の訓練のために提供するなど、深く謀議に関与している。

平治元年(1159年)、かねてからの計画通り信頼や源義朝らと共に挙兵(平治の乱)。上皇と上西門院を内裏に幽閉するに当たり、その護送用の車を用意するという任務を果たしている。当初、戦局は信頼方に有利に展開するが、藤原惟方藤原経宗らが敵方に寝返り二条天皇を内裏から脱出させたことから状況は一変、上皇も脱出し、信頼らは一転して賊軍としての立場に追い込まれる。こうした情勢を見て師仲は、味方陣中にあった三種の神器の一つである八咫鏡などを自らの手中に納め、早くも降伏を想定した保身行動に入っていたとされる。

やがて信頼・義朝らの敗戦を見届けた後、神鏡を姉小路東洞院にあった自邸に保管し、自らは六波羅に出頭する。しかし八咫鏡を守った功による減刑は認められず、永暦元年(1160年)3月31日に下野国に配流となった。この際、配所に赴く途上で詠んだ歌が、後に勅撰集千載和歌集』に収録されている。

仁安元年(1166年)に赦され、3月29日に帰洛。戦前の地位である正三位に復位し、翌年従二位に進んでいる。しかし散位に留められて官職に就くことはなかった。承安2年(1172年)5月16日に57歳で没した。

系譜編集