源 康俊(みなもと の やすとし、生没年不明)は、室町時代後期の廷臣醍醐源氏丹後守・源季賢の子。官位従三位宮内卿一条家諸大夫

 
源 康俊
時代 室町時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 則俊
官位 従三位宮内卿
主君 一条兼良
氏族 醍醐源氏
父母 源季賢
久任政氏一条兼良
猶子富小路俊通
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経歴

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宝徳3年(1451年従四位下に叙せられると、康正2年(1456年)従四位上、寛正3年(1462年正四位下と昇進し、文明元年(1469年従三位の叙位を受け公卿に列した。またこの間、世職であった丹後守のほか、修理大夫宮内卿を歴任している。

文明2年(1470年)4月8日に出家すると、翌文明3年(1471年)に土佐国に下向し、現地で没した。

官歴

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注記のないものは『歴名土代』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

一族には、土佐一条氏に仕えた久任(子)や康任(孫、久任の甥)、康政(康任の子か)がいる[2][3]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 尊卑分脈
  2. ^ 朝倉慶景「土佐一条兼定時代文書にみられる康政についての一考察」(『土佐史談』168号、1985年)
  3. ^ 『高知県人名事典』新版(1999年版)「源康政」