源済子

平安時代前期の女官。清和天皇の女御(歴代天皇で最後の兄弟姉妹婚)。従四位上。外祖母は多治氏

源 済子(みなもと の さいし/すみこ/なりこ、生没年不詳)は、平安時代前期の女官文徳天皇皇女で、清和天皇女御

仁寿3年(853年)6月11日、能有ら兄弟姉妹七人とともに源朝臣姓を賜り臣籍降下[1]貞観9年(867年)8月29日、異母兄・清和天皇女御となるが子女はなかった[2]。貞観10年(868年)正月8日に無位から従四位下に叙位され、元慶3年(879年)3月7日に他の清和天皇の女御十人とともに宮廷を退いている[3]仁和2年(886年)に外祖母(多治氏)の追贈を修し、また父母の追善に菩薩像を描いた。その時に菅原道真によって作られた願文が『菅家文草』に残っている。

脚注

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  1. ^ 日本文徳天皇実録仁寿3年6月11日条。
  2. ^ 日本三代実録貞観9年8月29日条。
  3. ^ 日本三代実録元慶3年3月7日条。