源経仲
源 経仲(みなもと の つねなか)は、平安時代後期の貴族・歌人。藤原北家小野宮流、権中納言・藤原経通の子。醍醐源氏、権中納言・源経房の猶子。官位は従五位下・常陸介。
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位下[1]、常陸介 |
主君 | 白河天皇→堀河天皇 |
氏族 | 藤原北家小野宮流→醍醐源氏 |
父母 |
父:藤原経通、母:源高雅の娘 猶父:源経房 |
兄弟 | 経仲、藤原経季、藤原経平、藤原顕家、藤原範輔室 |
子 | 俊兼、経兼、仲季、勝祐 |
経歴
編集白河朝にて、右衛門佐を経て、承暦元年(1077年)10月に出雲守に任ぜられると、早くも同年11月に任地で名所歌合を主催する。寛治5年(1091年)正月に媞子内親王が中宮に立てられると、経仲は皇后宮権亮に補せられる。この間、同年2月の『藤原宗通家歌合』、嘉保3年(1096年)5月の『中宮権大夫家歌合』(藤原能実主催)に参加。また、同月に行われた『左兵衛佐師時家歌合』では判者を務めた
官歴
編集系譜
編集『尊卑分脈』による。