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六代目 瀬川 菊之丞(ろくだいめ せがわ きくのじょう、1907年明治40年)3月25日 - 1976年昭和51年)11月3日)は、歌舞伎役者。屋号濱村屋定紋丸に結綿。本名は瀬川 豊太郎(せがわ とよたろう)。

東京浅草鳥越の生まれ。1918年(大正7年)に 母方のいとこに当たる岩井久次郎(のち九代目岩井半四郎)の養子となる。1924年(大正13年)10月、大阪弁天座で瀬川仙魚を名のって初舞台。のち二代目瀬川菊次郎を襲名し小芝居で活躍していたが、1932年(昭和7年)4月梨園を離れ前進座に参加、翌1933年(昭和8年)に六代目瀬川菊之丞を襲名した。

脇役として、新作、丸本物、世話物などで活躍、幅広い役柄と渋い老巧な演技とで舞台を引き締めた。その実力は、三代目中村翫右衛門の代役で彼の当たり役の『平家女護島』の俊寛を好演したことでも窺われる[要出典]

1976年(昭和51年)大阪中座の『新門辰五郎』の会津の小鉄が最後の舞台となり、同年11月3日梅田のホテル阪神で急死、69歳だった。