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熊谷 元直(くまがい もとなお)は、戦国時代初期の武将安芸国国人熊谷氏当主。熊谷膳直の子[1]。子に信直[2]直続[2]、女子(武田光和室)。江戸時代キリシタンとして殉教した同名の人物の曽祖父にあたる。

 
熊谷元直
時代 戦国時代
生誕 延徳2年(1490年
死没 永正14年10月22日1517年11月5日
別名 通称:次郎三郎
法号:花翁性蓮
墓所 菩提所観音寺跡広島市安佐北区
主君 大内義興武田元繁
氏族 桓武平氏国香流熊谷氏
父母 父:熊谷膳直
正室:宮光信の娘
信直直続、女子(武田光和室、三須房清室)
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生涯編集

安芸熊谷氏は、治承・寿永の乱源氏方の武将として活躍した熊谷直実の末裔であり、曾孫の熊谷直時の代に安芸に所領を得たのがはじまりである。室町時代には分郡守護である安芸武田氏に従っており、元直の時代も同様であった。永正3年(1506年)、諸領を武田元繁から与えられた。やがて中国地方大内氏の勢力が拡大し、安芸武田氏もその麾下に属するようになった。

永正4年(1504年)に大内義興が上洛すると、それに従って元直も安芸国人衆の一人として上洛した。永正8年(1511年)の船岡山合戦にも参加して善戦した。その後、武田氏が尼子氏の支援の下、安芸での実権回復を目指し大内氏に反旗を翻すと、武田方に味方した。

永正14年(1517年)、今田城に拠った武田元繁の呼びかけに応じ、大内方である吉川氏有田城攻撃に参戦した。しかし来援した大内方の毛利元就吉川元経との戦闘で先陣を務め、討死した。享年28。嫡男の信直が後を継いだ。

逸話編集

元直の遺体を家臣が持ち帰らなかったことに憤慨した元直の妻は、女一人で有田まで出掛け、夫の遺体を探した。遺体は見付けたものの、女手で持ち帰るにはあまりにも重く、泣く泣く右腕のみを切断して持ち帰った。その腕は熊谷氏の菩提寺である観音寺の井戸で洗われて、埋葬されたと言う伝承が残っている。

脚注編集

参考文献編集

  • 今井尭ほか編『日本史総覧』3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。全国書誌番号:84023599ISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668ASIN B000J78OVQ

関連項目編集