ドロテア・フォン・ブランデンブルク (1446-1519)
ドロテア・フォン・ブランデンブルク(Dorothea von Brandenburg, 1446年 - 1519年3月)は、ザクセン=ラウエンブルク公ヨハン5世の妃。
ドロテア・フォン・ブランデンブルク Dorothea von Brandenburg | |
---|---|
出生 |
1446年 |
死去 |
1519年3月 |
埋葬 |
1519年3月20日 ラッツェブルク大聖堂 |
配偶者 | ザクセン=ラウエンブルク公ヨハン5世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ2世 |
母親 | カタリーナ・フォン・ザクセン |
生涯
編集ドロテアはブランデンブルク選帝侯フリードリヒ2世と、ザクセン選帝侯フリードリヒ1世の娘カタリーナの間に長子として生まれた。
1464年2月12日、リューネブルクにおいてザクセン=ラウエンブルク公ヨハン5世(1439年 - 1507年)と結婚した。父フリードリヒ2世には息子がおらず、長女であるドロテアの結婚契約は重要なものであった。10,000グルデンの持参金に加え、フリードリヒ2世はヨハン5世に対し「私たちの愛する娘が、他の子供と同じように財産を相続する権利を持つ」ことを約束した。しかし後にフリードリヒ2世は一族内での相続財産を守るため、退位して弟アルブレヒト・アヒレスに選帝侯位を譲った。
1519年3月20日に、ドロテアはラッツェブルク大聖堂に埋葬された[1]。ドロテアとヨハン5世の墓碑板が今も残されている。
子女
編集- アーデルハイト - 早世
- ゾフィー(1497年以前没) - 1491年11月29日にシャウムブルク伯アントンと結婚
- アンナ(1468年 - 1504年) - 1490年にヨハン・フォン・リンダウ=ルッピンと結婚、1503年頃にシュピーゲルベルク伯フリードリヒ(1537年没)と結婚
- マグヌス1世(1470年 - 1543年) - ザクセン=ラウエンブルク公
- ベルンハルト(1524年没) - ケルンおよびマグデブルクの律修司祭
- エーリヒ(1472年 - 1522年) - ヒルデスハイム司教(エーリヒ2世、1501年 - 1503年)、ミュンスター司教(エーリヒ1世、1508年 - 1522年)
- ヨハン(1483年 - 1547年) - ヒルデスハイム司教(ヨハン4世、1503年 - 1547年)
- フリードリヒ(1501年以前没)
- ルドルフ(1503年没)
- ハインリヒ - 早世
- カタリーナ - ラインベークのシトー会修道女
- エリーザベト(1489年 - 1541年) - ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン公ハインリヒ4世と結婚
脚注
編集- ^ Peter Godzik (ed.): Reformation und Heiratspolitik – Herzog Magnus von Sachsen-Lauenburg als Gegner des Ratzeburger Bischofs und Schwiegervater der lutherischen Fürsten im Norden, 2006. (online auf pkgodzik.de), p. 4
参考文献
編集- Hermann von Ohnesorge: Geschichte des Entwicklungsganges der Brandenburg-Preußischen Monarchie, J. C. Hinrichs, 1841, p. 219