貴妃王氏は、北宋徽宗の貴妃。なお、徽宗には他にも王姓の貴妃がおり、懿粛貴妃、小王貴妃と呼んで区別される。
初め欽聖皇后(徽宗の嫡母)の侍女を務め、後に端王趙佶(のちの徽宗)の側室となった。端王が皇帝に即位後、初め寿昌郡君となり、美人、嬪、妃に進み、貴妃にいたった。帝の寵愛を受けて、多人の子供を産んだ。
靖康の変時まで、彼女の相関記載が有りません。早く密に薨去したか、或いは乱に流落して行方知れずとなった。