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2017年5月30日 (火) 21:09時点における版
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Sakusakusaku1234
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三重県
出身の男性
作詞家
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宮司
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2017年5月30日 (火) 21:09時点における版
逵原実
(つじはらみのる)
三重県
出身の男性
作詞家
、
宮司
。
略歴
1917年
大正6年
三重県
多気郡
城田町生まれ。
県立宇治山田中学校卒業後、「土の愛の家」を起こす。
近衛歩兵第一連隊入隊
初年兵秋季演習で
長野県
北佐久郡
岩村田町
を訪問し、
鼻顔稲荷神社
にて戦地での無事を祈願。
終戦後に再度
岩村田
を訪問し、作品の中にもその場面が登場する。
逵原ミレイ、辻原實とも。
作詞楽曲
「戦友の遺骨を抱いて」
「南海の護り」
「農業協同組合の歌」など
[1]
。
^
松井重夫『戦友の遺骨を抱いて』1974年2月1日発行全184頁中183頁