「岸田幾太郎」の版間の差分
明治時代の実業家
削除された内容 追加された内容
(相違点なし)
|
2020年2月17日 (月) 05:27時点における版
岸田 幾太郎(きしだ いくたろう、1867年11月19日(慶応3年10月14日) - 1908年(明治41年]])9月14日)は、日本の実業家。
経歴
1867年11月19日(慶応3年10月14日)、安芸国賀茂郡奥屋村(現在の広島県東広島市)に岸田忠次郎・さみ夫妻の長男として生まれる[1]。岸田家は、幾太郎の曽祖父・岸田直五郎の代に「新出屋(あたらしや)」を屋号にして分家し[2]、以来奥屋村にて農業を営んでいた[3]。 1891年(明治24年)頃に農機具、種苗、呉服などを輸出し、輸出先である北海道にて仕入れた海産物の販売業を始める[4]。1894年(明治27年)に三宅直之助の四女・スミと結婚。翌年には、長男の正記が生まれる。 長男が生まれて2ヶ月が経った頃には台湾基隆市に移住し、現地で呉服商と材木商を営む[5]。その後、幾太郎は1899年(明治32年)に帰国すると、地元の西志和村にて木材商、呉市にて金物商の経営を経て[6]、1906年(明治39年)頃には満州に移住し大連市の中心部に1町5~6反の土地を購入するが[7]、1908年(明治41年)9月14日に急死[8]。40歳の若さであった。
脚注
参考文献
- 博文社発行『小傳 岸田正記』(1983年)