ウラン (メトロポール・ド・リヨン)

フランスのコミューン

ウランOullins)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏メトロポール・ド・リヨンコミューン

Oullins

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) メトロポール・ド・リヨン
(arrondissement) リヨン郡
小郡 (canton) 小郡庁舎所在地
INSEEコード 69149
郵便番号 69600
市長任期 フランソワ=ノエル・ビュフェ
2009年-2014年
人口動態
人口 25 652人
(2008年)
人口密度 人/km2
住民の呼称 Oullinois[1]
地理
座標 北緯45度42分54秒 東経4度48分30秒 / 北緯45.71500度 東経4.808333度 / 45.71500; 4.808333座標: 北緯45度42分54秒 東経4度48分30秒 / 北緯45.71500度 東経4.808333度 / 45.71500; 4.808333
標高 平均:178 m
最低:163 m
最高:253 m
面積 4.4km2 (440ha)
Oullinsの位置(フランス内)
Oullins
Oullins
公式サイト Site officiel de la mairie
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地理 編集

リヨン西部のバンリューであり、サント=フォワ=レ=リヨンラ・ミュラティエールと接する。

交通 編集

  • 鉄道 - TERローヌ=アルプ、ウラン駅。2013年にメトロB号線が開通予定[2]

歴史 編集

9世紀にAulaniusという名のコミューンが、ウランの地にあった。この地はリヨンからガリア・ナルボネンシスへ向かうローマ街道が通っており、ローマ時代の水道橋跡が見つかっている。19世紀半ばまでのウランは小さな農村だった。

産業革命が始まり、ウランにアルフォンス・クレマン=デゾルム(fr)によって蒸気機関の工場が設置されるとまちも発展していった。1854年、クレマン=デゾルムのウラン工場はグラン・サントラル鉄道会社に吸収された。鉄道業界の繁栄が何年も続くウランの栄光の時代を築き、リヨンの製革業者、生肉加工場、ガラス製造など別の業種もウランに根付いた。

第二次世界大戦期は、市長クロード・ジョルデリーが体現した抵抗運動に象徴される。占領に抵抗し、1941年10月13日、工場はストライキを行った。夜間には鉄道労働者数十人が逮捕された。

大戦後、まちは変化を経験し、鉄道関連の工場閉鎖で不況に苦しむこととなった。一方で、リヨン南西の重要な商業中心地となっていった。それは文化的復興でもあった。劇場や図書館が整備された。経済的変換から、まちはサービス業が中心となった。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
24 356 26 604 27 772 27 168 26 129 25 183 26 000

Sources : Cassini[3]とInsee[4]

姉妹都市 編集

脚注 編集

  1. ^ Gentilé sur le site habitants.fr Consulté le 29/09/2008.
  2. ^ Prolongement de la ligne B à Oullins sur le site du Sytral
  3. ^ "Des villages de Cassini aux communes d'aujourd'hui". site de l'École des hautes études en sciences sociales. 2010年1月31日閲覧
  4. ^ "Recensement de la population au 1er janvier 2007". INSEE. 2010年1月31日閲覧