成妃李氏(せいひ りし、万暦33年8月21日1605年10月3日) - 崇禎10年11月6日1637年12月21日))は、天啓帝の妃嬪。

経歴 編集

保定府新安で庶民の李遇春と崔氏のあいだの娘として生まれる。後宮に入り、侍女となった。

天啓の初め、皇帝と関係した。天啓3年12月(1624年)、妊娠したため妃の位を授けられ、長春宮に入住した。天啓4年(1624年)2月30日、華北地震が起こった時に、朱淑媖(懐寧公主)を産んだ[1]。しかし懐寧公主が夭折すると、天啓帝にかえりみられなくなった。

天啓6年(1626年)2月2日、范皇貴妃の代わりに天啓帝に許しを乞い、魏忠賢や客氏(天啓帝の乳母)の怒りを買った。そのため位を奪われ、宮女に降格し、乾西五所(侍女の居所)に追放された。

崇禎元年(1628年)、成妃に戻され熹廟成妃(天啓帝の廟号の熹宗による)と称した。崇禎10年11月6日(1637年12月21日)、薨去した。諡号は贈られず、金山に葬られた。

伝記資料 編集

  • 『明熹宗実録』
  • 『酌中志』
  • 『熹廟成妃李氏壙志』

脚注 編集

  1. ^ 地震に影響されての早産だったと思われる。