表象(ひょうしょう、: Representation: Représentation)は、一般には、知覚したイメージ記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用をいう(イメージそのものを含めて呼ぶこともある)が、元来は「なにか(に代わって)他のことを指す」という意味である[1]。類義語に、記号イメージシンボル(象徴)[2]がある。

語義 編集

翻訳語としての表象 編集

「表象」は翻訳語であり、その原語は:phantasia、: idea, perceptio, repraesentatio: idea, perception, representation: idée, perception, représentation: Vorstellungなど様々であるが、近年は英語・フランス語などでのrepresentation、またドイツ語の Vorstellung の訳語として認知されている[3]

研究者によっては、用法は異なることもあり、一意的に確定しているわけではない。例えば、現在symbolは「象徴」と訳されるが、かつて「表象」と翻訳されたこともある。アーサー・シモンズの「The Symbolist Movement in Literature」は、現在では山形和美訳など複数の訳書で、「象徴主義の文学運動」と訳されるが、大正2年の岩野泡鳴訳では「表象派の文學運動」として表題は翻訳されていた。このような混乱は他の哲学用語系統の翻訳語と同様に、問題としてある。なお現在でも、国語事典には、symbolismは象徴主義・表象主義の2つを並記している[4]

術語としての表象 編集

哲学、心理学、認知科学、政治学、人類学、美術理論などそれぞれの研究領域で使用される術語である。

哲学用語としての表象 編集

クリスチャン・ヴォルフは、ラテン語のperceptioのドイツ語訳としてVorstellungを当てた。日本における哲学用語としての表象は、一般に、ドイツ語の Vorstellung、 フランス語のreprésentationの訳語として認知されている[3]。この意味での表象は、外界にある対象知覚することによって得る内的な対象をいう(「知覚表象」)。外界の対象が現に存在せず、知覚対象を記憶に保ち、再び心のうちに表れた内的な対象を知覚対象と区別する意味で「記憶表象」といい、同じく人の思考作用によって心の内に現れた内的な対象を「想像表象」という。

表象によって得られた内的対象は、外界の対象が現に存在するか否かにかかわりなく、人の意識のうちに現れ出でるものであり、外界の対象を象徴する記号的な意味をもつ観念でもある。ルネ・デカルトはこの内的対象を示す語としてidéeの語を充てていたが、カントはデカルトを厳しく批判し、Vorstellungを自己の哲学大系の中心に置いた[注釈 1]。フランスでも、idéeの語に代えてreprésentationの語が広く用いられるようになった。知覚表象の場合と異なり、記憶表象および想像表象の場合は、外的対象が現に存在せず、心の内に「再び―現れる」(re-présentation)ので、記憶表象と想像表象のみを「表象」ということもある。

ギリシア哲学 編集

ギリシア哲学において、表象はものの実相でも人間の思考でもない中間的なもの、あるいは幻想的なものという位置を与えられていた[5]

近代哲学 編集

「人間は表象によってしか物事を把握できない」と考えるデカルトを始めとする近代哲学の登場によって、表象の地位も向上した[5]

ドイツ思想におけるVorstellung 編集

哲学上の用語としては、ドイツ語の Vorstellung (Vor-stellungは「まえに-おく」の意)の訳語として使われる。現識と訳されたこともある。感情思惟を除く意識上の対象を指す。

ハイデガーはドイツ語をもとに表象について考えた[6]。ハイデガーは表象を考えることで、西洋形而上学の問題性を指摘したが、その帰結には賛否がある[7]

ショーペンハウアーは、その著書『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)において、世界はわたしの表象であり、世界の本質は生きんとする盲目の意志であるとした。

フランス思想におけるreprésentation 編集

戦後フランス哲学などでのreprésentationは、「再現前」「代理体制(システム)」などとも翻訳される(例:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』河出書房新社、ジャック・デリダ『エクリチュールと差異』法政大学出版局)。

ミシェル・フーコーは表象を、西洋の17-18世紀の思考方法を理解するのに有効な鍵概念だと考えた[8]

ニーチェは、人間は表象する以外に認識ができないと考えた[9]。さらに、ドゥルーズは、ニーチェの考えを展開し、表象ではなく、反復の思想を打ち出した[10]

英米思想におけるRepresentation 編集

英米思想においては、ジョン・ロックやバークリ以来の経験論以来、議論が蓄積されている。パースやモリスなどのアメリカ記号論なども経由し、現在では、分析哲学認知科学などでも、表象(Representation)は重要な問題のひとつとみなされている。

表象主義と反表象主義 編集

認知科学では、認知過程が外界を内的に表象することとする「表象主義」と、ジェームズ・ギブソンアフォーダンス理論のように、知覚情報は構造化されたかたちで環境内に実在し、知覚者は環境内を動き回ながらその情報を獲得するのであり、そこに内的表象や構成の過程を想定する必要はないとする「反表象主義」とがあり、現在も研究が展開している[11]

同様に、リチャード・ローティドナルド・デイヴィッドソンらも、「表象主義」的な説明をしりぞけ、「反表象主義」として括られることもある[12]

その他 編集

東京大学は1986年に「表象文化論」の学科を創設し、以後「表象」という単語は制度的に公認されたといえる[13]

注釈 編集

  1. ^ カントは、受動的に与えられる内的対象と観念ないし概念を短絡させるデカルトを批判し、表象それ自体は説明不能な概念であるとした上で、表象一般はその下位カテゴリーに意識を伴う表象があり、その下位には二種の知覚、主観的知覚=感覚と、客観的知覚=認識があるとした。人間の認識能力には感性悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっているが、これが主観的知覚と客観的知覚にそれぞれ対応する。感覚は直感によりいわば受動的に与えられるものであるが、認識は悟性の作用によって自発的に思考する。意識は感性と悟性の綜合により初めて「ある対象」を表象するが、これが現象を構成するのである。このような考え方を彼は自ら認識論コペルニクス的転回と呼んだ。

出典 編集

  1. ^ フランシスコ・ヴァレラ『知恵の樹』ちくま書房。またMitchell, W. 1995, "Representation", in F Lentricchia & T McLaughlin (eds), Critical Terms for Literary Study, University of Chicago Press.
  2. ^ 下記「翻訳語としての表象」節参照
  3. ^ a b 『コンサイス20世紀思想辞典』三省堂
  4. ^ 大辞林、三省堂、1989
  5. ^ a b 中山元『思考の用語辞典』ちくま書房、2000年、328頁。 
  6. ^ 中山元『思考の用語辞典』ちくま書房、2000年、329頁。 
  7. ^ 中山元『思考の用語辞典』ちくま書房、2000年、329-330頁。 
  8. ^ 中山元『思考の用語辞典』ちくま書房、2000年、330頁。 
  9. ^ 中山元『思考の用語辞典』ちくま書房、2000年、330-331頁。 
  10. ^ 中山元『思考の用語辞典』ちくま書房、2000年、331頁。 
  11. ^ ギブソン『生態学的視覚論』(古崎敬ほか訳、サイエンス社)、プリースト『心と身体の哲学』(河野哲也ほか訳、勁草書房)。
  12. ^ 富田恭彦『アメリカ言語哲学入門 』ちくま学芸文庫2007
  13. ^ 表象文化論とは 東京大学大学院 総合文化研究科 表象文化論研究室

関連項目 編集