逢坂浩司

日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター(1963-2007)

逢坂 浩司(おうさか ひろし、1963年6月20日 - 2007年9月24日)は、日本の男性アニメーターキャラクターデザイナーイラストレーター。株式会社ボンズ取締役。大阪府寝屋川市出身。嵯峨美術短期大学卒業。

おうさか ひろし
逢坂 浩司
プロフィール
別名義 才谷梅太郎
大阪太郎
生年月日 1963年6月20日
出身地 日本の旗 日本大阪府寝屋川市
没年月日 (2007-09-24) 2007年9月24日(44歳没)
出身校 嵯峨美術短期大学
職業 アニメーター
キャラクターデザイナー
イラストレーター
所属 ボンズ(取締役)
活動期間 1983年 - 2007年
ジャンル アニメーション
代表作 キャラクターデザイン
機動戦士Vガンダム
機動武闘伝Gガンダム
機巧奇傳ヒヲウ戦記
獣王星
アニメーションディレクター
天空のエスカフローネ
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別名義として、才谷梅太郎大阪太郎がある。

略歴 編集

谷口守泰に師事。1983年、短大生の頃からアルバイトで、谷口が主宰する作画スタジオ「アニメアール」においてサンライズ製作のアニメに参加。

毛利和昭加瀬政広、貴志夫美子、吉田徹柳沢まさひで沖浦啓之黄瀬和哉らとアニメアール黄金期を彩ったスター・アニメーターの1人。またアール時代の後輩、木村貴宏は逢坂を師匠と仰いでいた。

1991年にアニメアールを退社。フリーランスのアニメーターとしてサンライズの作品を中心に活動した後、アールの後輩、小森高博とともにボンズの設立に携わり、1998年取締役に就任。

またボンズ取締役就任までの間、才谷梅太郎名義で京都アニメーションの制作作品に数多く参加し、同社若手人材育成にも寄与していた。[1][2]

この他、1999年の第4回アニメーション神戸では実践型ワークショップの講師を務めた[3]

2007年の春頃から体調が思わしくなく、寝屋川市の実家と病院にて療養中だったが、同年9月24日にのため、寝屋川市内の病院にて死去した。遺作はテレビアニメ『天保異聞 妖奇士[4]。44歳没。

没後、杉並アニメーションミュージアムで追悼展示会[4][5]が、京都国際マンガミュージアムで追悼展示会[6][7]がそれぞれ開催されている。

命日から1年後の2008年9月24日には、画集『逢坂浩司イラスト&ワークス』 (ISBN 4048542192) が発売された。

参加作品 編集

テレビアニメ 編集

1983年
1984年
1985年
1987年
1988年
1989年
1990年
1993年
1994年
1995年
1996年
1998年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2006年
  • 獣王星キャラクターデザイン・総作画監督・作画監督・OP/ED)
  • 桜蘭高校ホスト部(レイアウト作画監督・原画)
  • 天保異聞 妖奇士(ゲストキャラデザイン・キャラクター監修・作画監督・作画監督協力・原画・OP) 

劇場アニメ 編集

1989年
1990年
  • シティーハンター ベイシティーウォーズ(原画)
1992年
1993年
1995年
1996年
1998年
2000年
2001年
2002年
2005年

OVA 編集

1985年
1986年
1987年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
2005年

ゲーム 編集

1994年
1995年
1999年
2002年
2003年
2005年

漫画 編集

  • ヒーリング・ラミネーター ジュン(アニメーションRE誌上に連載。同誌休刊により中断)

脚注 編集

  1. ^ 小川 みずえ - アニメアール出身の小川瑞江談
  2. ^ 赤根和樹監督が語る“日本のアニメを存続させるために、いまできること”【アニメ業界ウォッチング第65回】”. アキバ総研. カカクコム. p. 2 (2020年4月12日). 2020年4月13日閲覧。
  3. ^ ワークショップ - 第4回アニメーション神戸
  4. ^ a b 『ガンダム』『ビバップ』手掛けた名アニメーター 逢坂浩司追悼展が開催中 - マイナビニュース
  5. ^ アニメーター・逢坂浩司追悼展示会 (PDF) 広報すぎなみ No.1827号 2007年11月21日付
  6. ^ アニメーター・逢坂浩司追悼展示会 - 京都国際マンガミュージアム
  7. ^ 「追悼展示会 アニメーター・逢坂浩司」 - インターネットミュージアム