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狭田国生神社(さたくなりじんじゃ[1])は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。外城田川左岸に鎮座し、地元の人からは「はいこさん」と呼ばれている[2]

狭田国生神社
Satakunari-jinja 02.jpg
所在地 三重県度会郡玉城町佐田牛カウベ322番地
位置 北緯34度29分25.0秒
東経136度38分15.7秒
座標: 北緯34度29分25.0秒 東経136度38分15.7秒
主祭神 速川比古命
速川比女命
山末御魂
社格 式内社(小)
皇大神宮摂社
創建 垂仁天皇26年以前
本殿の様式 神明造
別名 はいこさん
例祭 1月17日
主な神事 神嘗祭湯田巡回(10月21日
地図
狭田国生神社の位置(三重県内)
狭田国生神社
狭田国生神社
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概要編集

三重県度会郡玉城町佐田牛カウベ322番地に鎮座する神社[3]で、玉城町にある13の摂末社のうちの1社である[1]。内宮の摂社27社のうち、第26位である[4]

社名の「狭田」とは所在地「佐田」に由来すると推定される[3]。また地元通称の「はいこ」とは、祭神の速川比古命(はやかわひこのみこと)の変化したものと考えられる[5]。『勢陽五鈴遺響』では「方俗ハイコ社域ハ寒河社(さむかわしゃ)ト称ス。」と記されている[6]

倭姫命が定めた神社である[1]。社地の面積は1,656m2[5]社殿神明造板葺で南向きに建っており、写真にあるように一重の玉垣に囲まれている[5]賽銭箱は置かれていない。

祭神編集

祭神は、鎮座地の近くを流れる外城田川の神である速川比古命と速川比女命(はやかわひめのみこと)、土地守護神である山末御魂(やまずえのみたま)の3柱である[1]。『皇太神宮儀式帳』には既にこの3柱を祀ると記されており、「速川」は外城田川を意味する[5]。なお、速川比古命と速川比女命の親神は棒原神社(すぎはらじんじゃ)に祀られている[5]

歴史編集

『倭姫命世記』によれば、倭姫命が天照大御神を奉じて小川を渡った時、速川彦命(速川比古命)が「畔広の狭田の国」として神田を献上したことから、倭姫命が「速河狭田社」として定めたのがこの神社の起源であるという[3]古代には大宮司によって祝部が任官され、日常の祭祀が捧げられていた[5]

戦国時代に祭祀が断絶し荒廃したが、寛文3年(1663年)に再興された[2]。再興には大宮司・精長が尽力した[7]1915年(大正4年)1月に建て替えが行われ[4]1956年(昭和31年)11月に造り替え、1979年(昭和54年)6月に修繕された[5]

祭祀編集

1月17日に地元の区長らが参拝する習わしがある[1]。内宮の巡回祭祀の形式で祈年祭2月20日)、月次祭6月20日12月20日)、新嘗祭11月27日)が行われる[5]

植物相編集

境内地に植えられたツバキになると咲く[1]

交通編集

公共交通
自家用車

脚注編集

  1. ^ a b c d e f 伊勢文化舎(2008):58ページ
  2. ^ a b 金子(1984):34ページ
  3. ^ a b c d e 式内社研究会 編(1990):204ページ
  4. ^ a b 宇治山田市役所 編(1929):11ページ
  5. ^ a b c d e f g h 式内社研究会 編(1990):205ページ
  6. ^ 金子(1984):35ページ
  7. ^ 式内社研究会 編(1990):204 - 205ページ

参考文献編集

  • 宇治山田市役所『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年1月20日、862p.
  • 金子延夫『玉城町史 第3巻―南伊勢の歴史と伝承―』三重県郷土資料叢書第92集、三重県郷土史料刊行会、昭和59年3月10日、308p.
  • 式内社研究会 編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部、平成2年2月28日、690p. ISBN 4-87644-080-8
  • 『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4

関連項目編集

外部リンク編集