玉川スミ
日本の音曲師、三味線漫談家
玉川 スミ(たまがわ すみ、1920年7月17日 - 2012年9月25日)は、女流俗曲師(音曲師、三味線漫談家)。
![]() 玉川スミ(1982年 - 1983年ごろ、楽屋にて) | |
本名 | |
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別名 | 桂小豆 寄席の世界のシーラカンス |
生年月日 | 1920年7月17日 |
没年月日 | 2012年9月25日(92歳没) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 桂喜代楽 3代目春風亭柳好 京山華千代 |
名跡 | 1.中村文丸(1922年 - 1927年) 2.地紙家澄子(1927年 - 1932年) 3.桂小豆(1932年 - 1936年) 4.丘乃すみれ(1936年 - 1938年) 5.東家女楽燕(1938年 - 1952年) 6.玉川一恵(1952年 - 1960年) 7.玉川スミ(1960年 - 2012年) |
活動期間 | 1922年 - 2012年 |
活動内容 | 女流俗曲師 |
家族 | 桃中軒雲工(父) |
所属 | 成田雲竹一座 津軽家すわ子一座 花奴レビュー団 大朝家シゲオ・桂小豆 新興芸能部 日本芸術協会→落語芸術協会 |
主な作品 | |
『桃太郎侍』∶上方屋女将・おはる役 | |
受賞歴 | |
1971年文化庁芸術祭賞優秀賞 1991年勲五等宝冠章 | |
備考 | |
落語芸術協会参与 | |
人物
編集父が浪曲師の桃中軒雲工(桃中軒雲右衛門の弟子)で、父の影響で少女浪曲師として初舞台を踏む。初舞台は3歳のときで、14歳までに13回親が変わっている。
その後、女歌舞伎、新派、喜劇、民謡、女道楽、漫才、都々逸、松づくし等あらゆる寄席芸を習得し、漫才では「桂小豆」の名で「大朝家シゲオ」(後の「宮アオバ・シゲオ」の「宮シゲオ」)や、大江茂(妻は大江笙子)とコンビを組んだ。1971年、文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞し、1991年には勲五等宝冠章を受章している[2]、2002年、松尾芸能賞・特別賞受賞。
以降は、落語芸術協会定席を中心に高座を勤める一方で、日本テレビ系の時代劇『桃太郎侍』では、上方屋の女将・おはる役として長らくレギュラー出演した。
2008年12月1日~10日、国立演芸場で芸能生活85周年を記念した興行が行われ、連日主任で「松づくし」を演じた[1]。
人物
編集1991年3月、宮崎県延岡市の今山大師で得度を受け、「澄光尼」の法号を授かった[4]。
晩年は人のオーラが見えると発言しており、「オーラのおスミ」として、「芸協らくごまつり」などで占いの余興を行っていた。
出演番組
編集著書
編集関連項目
編集外部リンク
編集出典
編集- ^ a b c 田谷悠紀 著、佐藤友美 編『東京かわら版 平成8年12月号 玉川スミ芸能生活八十五周年 米寿記念インタビュー』東京かわら版、2008年11月28日、30-31頁。
- ^ 「長年の苦労報われて… 喜びの秋の叙勲受章者(都内関係、敬称略)」『読売新聞』1991年11月3日朝刊
- ^ “三味線漫談・玉川スミさん死去…92歳”. 読売新聞. (2012年9月25日) 2012年9月25日閲覧。
- ^ 玉川スミ - 落語芸術協会 協会員プロフィール
- ^ 2007年5月15日放送のNHKラジオ第一『真打ち競演』で演じた「最後の審判」のマクラ冒頭(桂米助の前に彼女が出ていた流れで)
- ^ 「瀧川鯉昇1」収録の「ちりとてちん」のマクラ
- ^ 桂小すみ『図書 2024年8月号「プッチーニが聴いた「越後獅子」」』岩波書店、2024年8月1日、14頁。