王 文林(おう ぶんりん、生没年不詳)は、高句麗帰化していた中国人将軍[1]官位は「西部将」[1]。高句麗に臣として死節を尽くした[2]

王 文林
各種表記
ハングル 왕문림
漢字 王 文林
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: おう ぶんりん
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人物 編集

十七世の祖の王烈は、中国後漢将軍曹操の招聘に応じず、戦乱を避けて遼東で暮らした。その後、遼東が乱れると、一族は東夷に散らばる[1]

王文林の八世の孫の王楽徳は、渤海国で暮らしたが、遼太祖渤海国を征服すると、息子とともに東丹王を奉じて遼陽に移住した。王楽徳の曾孫・王継遠は、東丹王に仕えて翰林学士となる。王継遠の後裔は王庭筠である[3]

脚注 編集

参考文献 編集