王領ハンガリー
王領ハンガリー(おうりょうハンガリー、ハンガリー語:Királyi Magyarország, ドイツ語:Königliches Ungarn)は、近世ヨーロッパに存在した地域区分。ハンガリーの歴史的な支配領域の一つ。
歴史編集
1541年にオスマン帝国によってブダ(現在のブダペストの一部)が制圧された後、オーストリア系ハプスブルク家(ハプスブルク帝国)が支配した、元のハンガリー王国の北部と西部に当たる地域である。現在のハンガリー西部、スロバキア領、クロアチア領、オーストリア領(ブルゲンラント州)などが含まれる。
1593年から勃発した長期トルコ戦争の舞台となり、この戦争は長期に及び、講和は1606年のジトヴァ・トロク条約によりなされた。
1663年に勃発した墺土戦争の戦場にもなり、オスマン側はウイヴァール城塞を攻略した。サンクトゴットハルトの戦いでオスマン軍は敗れたものの、翌年結ばれたヴァシュヴァールの和約によりウイヴァールはオスマン側が領有することになった。
1683年に大トルコ戦争が始まった後も戦争の舞台となったが、これを撃退し1687年にモハーチの戦いで勝利後はバナト以外のかつてのハンガリー領を回復した。
関連項目編集
- モハーチの戦い
- オスマン帝国領ハンガリー
- 東ハンガリー王国
- トランシルヴァニア公国
- ムラト3世:彼の時代の1593年に長期トルコ戦争が始まった。
- メフメト3世:即位後の1596年にハンガリーへ遠征した。
- アフメト1世:1606年にジトヴァ・トロク条約を締結した。
- ハンガリー王国 (曖昧さ回避)