生田宏一

日本の政治家 (1905-1982)

生田 宏一(いくた こういち、1905年明治38年)9月8日 - 1982年昭和57年)9月15日)は、日本政治家衆議院議員(4期)[1]

生田 宏一
いくた こういち
生年月日 (1905-09-08) 1905年9月8日
出生地 徳島県
没年月日 (1982-09-15) 1982年9月15日(77歳没)
出身校 徳島県立徳島中学校
所属政党 自由党
称号 従四位
勲二等瑞宝章
親族 生田和平(父)

選挙区 徳島県全県区
当選回数 4回
在任期間 1953年 - 1963年
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経歴

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徳島県名西郡石井村石井で生田和平の息子として生まれる[2]徳島県立徳島中学校を卒業[3]

1935年昭和10年)、徳島県会議員に当選。父の後継として1953年(昭和28年)、徳島県全県区より衆議院議員総選挙に出馬し初当選。以来、1963年(昭和38年)まで4期を務める。

1958年(昭和33年)に第2次岸内閣労働政務次官1962年(昭和37年)に第2次池田第2次改造内閣防衛政務次官を歴任した。

1975年(昭和50年)秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章(八等からの昇叙)[4]

1982年(昭和57年)9月15日死去、77歳。死没日をもって従四位に叙される[5]

脚注

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  1. ^ 生田宏一 | 衆議院議員 | 国会議員白書
  2. ^ 『徳島県歴史人物鑑』38頁。
  3. ^ 『讀賣年鑑』p514
  4. ^ 『官報』第14654号6頁 昭和50年11月7日号
  5. ^ 『官報』第16694号14-15頁 昭和57年9月21日号

参考文献

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  • 『讀賣年鑑』読売新聞社、1949年。
  • 『徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。