石井町
徳島県名西郡の町
石井町(いしいちょう)は、徳島県の北東、徳島市の西隣りに位置する町。本項では町制前の名称である石井村(いしいむら)についても述べる。
いしいちょう 石井町 | |||||
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地福寺の藤 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 徳島県 | ||||
郡 | 名西郡 | ||||
市町村コード | 36341-3 | ||||
法人番号 | 5000020363413 | ||||
面積 |
28.85km2 | ||||
総人口 |
23,840人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 826人/km2 | ||||
隣接自治体 | 徳島市、吉野川市、名西郡神山町、板野郡上板町、藍住町 | ||||
町の木 | イチョウ | ||||
町の花 | 藤 | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
石井町役場 | |||||
町長 | 小林智仁 | ||||
所在地 |
〒779-3295 徳島県名西郡石井町高川原字高川原121番地の1 北緯34度04分27秒 東経134度26分26秒 / 北緯34.0742度 東経134.4406度座標: 北緯34度04分27秒 東経134度26分26秒 / 北緯34.0742度 東経134.4406度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集農業が盛んな一方で、徳島市のベッドタウンとしても発展を続けている。徳島市との繋がりが深い事からこれまでに何度か徳島市との合併話が持ち上がっているが、実現はしていない。なお、可動堰化の是非を問う住民投票が徳島市で行われ、吉野川の河口堰(弓状2段斜め固定堰)がある「第十堰」は、この石井町と上板町に位置している[1][2][3] [4]。
地理
編集町の北側には、吉野川(別称: 四国三郎)が東西に流れ、町の中央付近にはその吉野川の支流である飯尾川が蛇行しながら流れている。土地は、町南側の市町境沿いに山がある以外はほぼすべて平地である。
人口
編集徳島市に隣接しており、町の中央部周辺はベッドタウンになっており、人口が約2万6000人にまで増加したが、現在は微減している[1][2][3]。
石井町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 石井町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 石井町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
石井町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
面積
編集- 28.83平方キロメートル[1]
隣接している自治体
編集広袤(こうぼう)
編集歴史
編集沿革
編集- 1914年(大正3年) - 童学寺越トンネルが完成した[2][3]。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 徳島県立名西高等女学校が開校した[2][5]。
- 1934年(昭和9年)9月20日 - 下浦駅が開業した[2]。
- 1938年(昭和13年)12月 - 森永乳業徳島工場が操業した[6][7]。
- 1944年(昭和19年) - 大阪府内の国民学校の児童が疎開した[2]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 石井・浦庄・高原・藍畑・高川原の5中学校が開校した[2]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 徳島県立名西高等学校が開校した[2] [5][8]。
- 1950年(昭和25年) - 町内に[[昭和天皇]の戦後巡幸]][2]。石井小学校に行幸した[9]。
- 1955年(昭和30年) 6月 - 森永乳業徳島工場で製造した商品の中からヒ素が出たことで森永ヒ素ミルク中毒事件が発生した[6]。
- 1958年(昭和33年)3月31日 - 石井町立高川原中学校・石井町立藍畑中学校が閉校し石井中学校に統合された[2][8]。
- 1961年(昭和36年)6月 - 町章が制定された[10][1][2]。
- 1962年(昭和37年) - 徳島県下の郡部で初めて町内の国道192号線に信号機が設置された[2]。
- 1967年(昭和42年)3月 - 徳島県農業大学校が徳島市内から町内に移転した[2][11]。
- 1973年(昭和48年)4月- 徳島市水道事業管理者と分水(浄水受水)契約を結び、石井町行政区域全域(3箇所の簡易、専用水道給水区域を除く)を対象に石井町上水道創設事業が給水を開始した。
- 1974年(昭和49年)10月- 日本ハム徳島工場が操業開始した[2][12]。
- 1976年(昭和51年) - 田中家住宅が国指定の文化財に指定された[2]。
- 1978年(昭和53年)3月28日 - 石井町清掃センターが完成した[2][13]。
- 1979年(昭和54年) - 名西消防組合石井消防署が設置された[2]。
- 1981年(昭和56年)3月20日 - 石井町保健センターが完成した[2][14]。
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 町民憲章が制定された[1][2]。
- 1982年(昭和57年)6月1日 - 町の花に「藤」、木に「いちょう」、鳥に「うぐいす」が制定された[1][2]。
- 1983年(昭和58年) - 学校給食センターを設置した[2]。
- 1984年(昭和59年) - 石井町民の歌・いしい音頭を発表した[2]。
- 2001年(平成13年)3月24日 - 徳島県道20号石井神山線新童学寺トンネルが完成した[2][2]。
- 2004年(平成16年)3月 - 旧童学寺トンネルを閉鎖した[3]。
- 2011年(平成23年)9月30日 - 森永乳業徳島工場が郡山工場と共に合理化のために閉鎖した[15] [6] [7]。
行政区域の変遷
編集地域
編集大字
編集大字名 |
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藍畑 |
石井 |
浦庄 |
高川原 |
高原 |
警察・消防
編集- 石井警察署
- 白鳥駐在所
- 高川原駐在所
- 天神駐在所
- 藍畑駐在所
- 高原駐在所
- 浦庄駐在所
- 名西消防組合消防本部
- 石井消防署
図書館
編集独立した図書館はないが、石井町中央公民館内に図書室がある[16]。
病院
編集その他の施設
編集郵便局
編集- 石井郵便局
- 高畑郵便局
- 浦庄郵便局
- 高原郵便局
- 高川原簡易郵便局
町内の団地
編集町内には、県営曽我団地、町営中央団地、町営城の内団地、分譲竜王団地、分譲浦庄団地などがある。
行政
編集役場
編集- 石井町役場[17]
町長
編集代位 | 町長氏名 | 任期 | 肩書き | 所属政党 | 備考 | |
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就任年月日 | 退任年月日 | |||||
松岡宗一 | 1979年(昭和54年)4月30日 | 無所属 | (1期) | |||
1979年(昭和54年)5月1日 | 1983年(昭和58年)4月30日 | (2期) | ||||
1983年(昭和58年)5月1日 | 1987年(昭和62年)4月30日 | (3期) | ||||
坂東忠之 | 1987年(昭和62年)5月1日 | 1991年(平成3年)4月30日 | 無所属 | (1期) | ||
1991年(平成3年)5月1日 | 1995年(平成7年)4月30日 | (2期) | ||||
1995年(平成7年)5月1日 | 1999年(平成11年)4月30日 | (3期) | ||||
1999年(平成11年)5月1日 | 2003年(平成15年)4月30日 | (4期) | ||||
2003年(平成15年)5月1日 | 2007年(平成19年)4月30日 | (5期) | ||||
河野俊明 | 2007年(平成19年)5月1日 | 2011年(平成23年)4月30日 | 無所属 | 投票率65.84%(1期) | ||
2011年(平成23年)5月1日 | 2015年(平成27年)4月30日 | 投票率55.70%(2期) | ||||
小林智仁 | 2015年(平成27年)5月1日 | 2019年(平成31年)4月30日 | 元石井町議会議員 | 無所属 | 投票率67.63%(1期) | |
2019年(令和元年)5月1日 | 2023年(令和5年)4月30日(予定) | 投票率59.51%(2期) |
議会
編集町議会
編集- 定数:14人
- 任期:2019年4月21日 - 2023年4月20日
衆議院
編集当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 仁木博文 | 55 | 無所属 | 元 | 99,474票 | |
比当 | 後藤田正純 | 52 | 自由民主党 | 前 | 77,398票 | ○ |
比当 | 吉田知代 | 46 | 日本維新の会 | 新 | 20,065票 | ○ |
佐藤行俊 | 73 | 無所属 | 新 | 1,808票 |
経済
編集工業
編集過去
編集商業
編集JR石井駅を中心としたエリアに市街地が広がっているが、郊外型の店舗に圧倒され個人商店などは衰退気味である。一方、国道192号線沿いや県道30号徳島鴨島線沿いには郊外型のロードサイド店が多数立地している。特に、高川原交差点以東の県道徳島鴨島線沿いには商業施設が建ち並んでおり、石井町随一の商業エリアといっても過言ではない。2006年(平成18年)3月には高川原地区に大型商業施設も開店し、今後の更なる沿道付近の発展が期待されている。
教育
編集大学
編集高等学校
編集中学校
編集小学校
編集その他
編集廃止された学校
編集-
農業大学校
-
名西高等学校
-
石井中学校
-
浦庄小学校
-
藍畑小学校
-
高川原小学校
交通
編集鉄道路線
編集- 四国旅客鉄道(JR四国)
バス路線
編集一般路線バス
編集- 徳島バス(徳島バス株式会社)
- 高速バス路線
- 石井駅前経由(川島発、東京行き)
- 石井駅前発(石井発、大阪行き)
- 鴨島線(西麻植行き)
- 石井高原線(平島東行き)
- 竜王団地線(フジグラン石井行き)
- 不動経由
- 日開経由
- 神山線(神山高校前行き)
- 石井経由
- 石井上板線(鍛冶屋原車庫行き)
- 高速バス路線
道路
編集- 一般国道
- 県道
観光
編集公園
編集社寺
編集- 王子神社
- 中王子神社(徳島県指定有形文化財である阿波国造墓碑がある)
- 東王子神社
- 五社神社
- 多祁御奈刀弥神社
- 桜間神社[2]
- 白鳥神社
- 皇大神宮
- 御瀧神社
- 童学寺(弘法大師学問所[2]、四国別格二十霊場2番、四国三十六不動霊場11番)
- 東禅寺(四国三十六不動霊場10番)
- 蓮光寺(四国三十三観音霊場3番)
- 徳蔵寺(阿波西国三十三観音霊場30番)
- 地福寺
- 森本院
- 浄土寺
- 西方寺
- 光明寺
名所・旧跡
編集催事など
編集- 三社神社の勇み獅子[1]
- とくしま駅伝(1月4日・5日・6日)[2]
- 石井町内マラソン大会(3月)[1]
- さくら祭り(3月下旬 - 4月上旬)[1]
- ふじ祭り(4月下旬 - 5月上旬)[1]
- 納涼夏祭り(8月の第1土曜日)[1]
銘菓
編集石井町出身の有名人
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n “町のプロフィール”. 石井町. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al “石井町勢要覧”. 石井町. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b c d “石井・童学寺トンネル人と町つなぐ動脈”. 徳島新聞. 2012年6月25日閲覧。
- ^ “新・石井小景”. 石井町. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b “沿革”. 徳島県立名西高等学校. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b c d “森永乳業、徳島工場を閉鎖へ”. 徳島新聞. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b c “徳島工場および郡山工場の生産中止に関するお知らせ”. 森永乳業. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b c d “沿革”. 石井町立石井中学校. 2012年6月25日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、104頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 図典 日本の市町村章 p190
- ^ “農業大学校概要”. 徳島県立農業大学校. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b “日本ハム株式会社徳島工場 環境サイトレポート2011”. 日本ハム株式会社. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b “石井町清掃センター管理規則”. 石井町例規集. 2012年6月25日閲覧。
- ^ “石井町保健センター規則”. 石井町例規集. 2012年6月25日閲覧。
- ^ a b “森永ヒ素ミルク事件の徳島工場、閉鎖へ”. 読売新聞. (2011年1月26日) 2011年1月26日閲覧。
- ^ “石井町中央公民館図書室より6月新刊図書案内!”. 石井町. 2012年6月25日閲覧。
- ^ “石井町役場位置設定条例”. 石井町例規集. 2012年6月25日閲覧。
参考文献
編集- 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113。
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
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