町田 咲吉(まちだ さききち、明治2年12月2日1870年1月3日[1] - 昭和6年(1931年7月13日[1])は、日本農学者。学位は、農学博士

町田咲吉

経歴 編集

鹿児島県出身[2]1892年明治25年)、帝国大学農科大学を卒業し、助手を務めた[1]1893年(明治26年)より農事試験場技師を務め、1906年(明治39年)に統監府勧業模範場技師に転じた[1]1908年(明治41年)より水産製造学研究のためアメリカ合衆国ドイツに留学した[1]1910年(明治43年)に帰国してからは、東京帝国大学農科大学(のち農学部)教授となり、1924年大正13年)から1927年(昭和2年)まで農学部長を務めた[1]1930年(昭和5年)に退官し、名誉教授の称号を受けた[1]

栄典 編集

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 故正三位勲二等町田咲吉勲章加授ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113091700 
  2. ^ a b 人事興信録 1918.
  3. ^ 『官報』第2072号「叙任及辞令」1919年7月2日。

参考文献 編集