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白川仲資王(しらかわ・なかすけおう)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿。初名は顕順。神祇伯顕広王の次男。官位正三位兵部卿、神祇伯。子に業資王資宗王らがいる[1]。日記『仲資王記』の著者。

 
白川仲資王
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代前期
生誕 保元2年(1157年
死没 貞応元年(1222年
改名 顕順(初名)→仲資
官位 正三位兵部卿神祇伯
主君 六条天皇高倉天皇
氏族 白川伯王家
父母 父:顕広王
兄弟 顕綱王仲資王顕経王、全顕、顕尊、信子女王
業資王資宗王資家王
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目次

出自編集

本姓源氏家系花山天皇を祖とする花山源氏の嫡流の家柄。人臣でありながら王氏を任ずべき神祇伯を家職としていたため、任伯している間に限り、源姓を離れ王号を名乗る格式を保持していた。

経歴編集

永暦2年(1161年)に従五位下位階叙爵し、仲資に改名する。承安3年(1173年)に従五位上に進み、安元2年(1176年)に神祇伯となる。治承3年(1179年)、播磨権守となる。養和元年(1181年)、正五位下寿永元年(1182年)、従四位下を経て従四位上に進む。元暦元年(1184年)、正四位下建久元年(1190年)、従三位となり公卿に列する。同9年(1198年)、神祇伯を辞す。正治2年(1199年)、太皇太后宮権大夫に任ぜられ、翌年に辞する。元久2年(1205年)、正三位となり、承元元年(1207年)、兵部卿に任ぜられ、同年、出家した[1]

代々、神祇伯を家職としたため白川伯王家といわれたが、白川を家号とした時代や時期については、仲資王の祖父 顕康王の頃とも[1]、曾孫の資邦王の時ともいわれ、定かでない[2]

脚注編集

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  1. ^ a b c 野島寿三郎編『公卿人名大事典』(日外アソシエーツ1994年) 382頁参照。
  2. ^ 岡野友彦著『源氏と日本国王』(講談社2003年) 88頁、89頁参照。

参照文献編集

  • 岡野友彦著『源氏と日本国王』(講談社、2003年) ISBN 4061496905
  • 野島寿三郎編『公卿人名大事典』(内外アソシエーツ、1994年) ISBN 4816912444

関連項目編集