真宗大谷派長浜別院大通寺

滋賀県長浜市にある真宗大谷派の寺院

真宗大谷派長浜別院大通寺(しんしゅうおおたにはながはまべついんだいつうじ)は、滋賀県長浜市にある真宗大谷派寺院である。同派の別院真宗本廟(東本願寺)本山と仰ぐ。本尊は阿弥陀如来。山号は「無礙智山」(むげちざん)。別名は「長浜御坊」(ながはまごぼう)で、地元では「御坊さん」(ごぼうさん、またはごぼさん)と呼ばれる[1]。「長浜別院」、「大通寺」と略称される。

真宗大谷派
長浜別院 大通寺

長浜御坊表参道から山門を望む
所在地 滋賀県長浜市元浜町32-9
位置 北緯35度23分0.58秒 東経136度16分8.89秒 / 北緯35.3834944度 東経136.2691361度 / 35.3834944; 136.2691361座標: 北緯35度23分0.58秒 東経136度16分8.89秒 / 北緯35.3834944度 東経136.2691361度 / 35.3834944; 136.2691361
山号 無礙智山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
寺格 別院
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶長7年(1602年)
開基 教如
別称 長浜御坊
文化財 本堂、大広間、客殿(重要文化財)
含山軒及び蘭亭庭園(名勝)
公式サイト 長浜別院 大通寺
法人番号 8160005003842 ウィキデータを編集
真宗大谷派長浜別院大通寺の位置(滋賀県内)
真宗大谷派長浜別院大通寺
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沿革 編集

湖北の中心道場であった総坊(そうぼう)を前身とし、慶長7年(1602年)には徳川家康より本願寺分立が許され[1]本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。内藤信成が慶長11年(1606年)に長浜に移封された際に現在地に移したとされる[1]

伏見城遺構[2]とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙狩野山楽狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。

文化財 編集

名勝(国指定)

  • 含山軒及び蘭亭庭園
    • 含山軒庭園 - 江戸時代初期築造。書院含山軒の前庭で、東方に望む伊吹山借景とすることから含山軒と名付けられた。観賞式枯山水庭園である。
    • 蘭亭庭園 - 江戸時代築造。観賞式池泉庭園で、書院蘭亭の障壁画「蘭亭曲水の宴」の風景を現出したもの。

重要文化財(国指定)

 
本堂
 
大広間玄関
  • 本堂(阿弥陀堂)
江戸初期建立。入母屋造、本瓦葺き。寺伝では、伏見城の殿舎を徳川家康より東本願寺第十二代 教如へ贈られ、本願寺(東本願寺)御影堂として用いたものを、承応年間(1652年〜1654年)に移建したものと伝えられる。[2]
  • 大広間(附玄関)
江戸初期建立。書院造り、本堂と同様、承応年間に東本願寺から移築したもので、伏見城の遺構と伝えられる。附(つけたり)指定の玄関は江戸時代中期の宝暦10年(1760年)に当寺の住職・横超院の内室であった彦根藩主・井伊直惟の息女数姫が祖師聖人500年忌に建立したもの。
  • 客殿(含山軒及び蘭亭)(合1棟)
    • 含山軒 - 庭園を望む一の間に狩野山楽筆の山水画、二の間に狩野山雪筆の山水画がある。
    • 蘭亭 - 江戸時代の宝暦5年(1755年)建立。円山応挙筆の蘭亭曲水宴図の襖絵がある。

県指定文化財

市指定文化財

  • 新御座 - 江戸時代建立
  • 金地墨画梅之図十二面
  • 山門 - 1840年天保11年)ごろに完成したもので、完成まで33年経過したといわれる[1]。入母屋造で三間三戸で作られている[1]
  • 台所門(矢の根門)
  • 旧学問所庭園 - 江戸時代築造、枯山水
  • 脇門(台所門) - 元長浜城追手門。門扉には本能寺の変に呼応した京極軍がはなった矢や銃弾の痕が残る。扉金具の裏に、天正16年(1588年)の銘がある。

催事 編集

  • 2月10日〜4月18日 - 馬酔木展
  • 10月16日 - きもの大園遊会

所在地 編集

滋賀県長浜市元浜町32-9

交通アクセス 編集

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課 2019, p. 51.
  2. ^ a b 伏見城の遺構…出典は、公式サイト「長浜別院 大通寺」による。(参考画像「本堂外陣に掛かる説明書」)

参考文献 編集

  • 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課『街道でめぐる滋賀の歴史遺産』サンライズ出版、2019年10月25日。 

外部リンク 編集