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真福寺道(しんぷくじみち)とは、愛知県岡崎市真福寺町真福寺に至る参詣の道である。

目次

概要編集

真福寺の薬師如来のご利益[1]を得るために人々が辿った参詣道で、足助街道から分岐して真福寺に至る。別名「薬師道」ともいう。下記の通りそのルートは1つではなかった。

井田から分岐する経路編集

岡崎城下から足助街道を北上し、井田坂通りの井田観音堂の分岐点[2]で北東方向に入る。斜めに細い道を進み[3]、鴨田で九品院の東側を通る。途中「春日通り」の一部をかすめて、西阿知和の若宮八幡宮の西側の未舗装道路に入り、愛知県立岡崎聾学校の裏手を少し行った場所に「是北真福」と刻まれた道標がある[4]。東名高速道路[5]の下を通り抜け、真福寺川を渡って真福寺に至る。

井田からのルートは時代とともに寂れていった。代わって百々から滝山寺に通じる道が開けると、滝山寺へ参詣する人が多くなっていったという。

東蔵前から分岐する経路編集

このルートはいちばん単純で分かりやすいルートといえる。現代の愛知県道39号岡崎足助線の東蔵前交差点から東へ愛知県道339号長沢東蔵前線に入り、愛知県立岩津高等学校の南を通って真福寺交差点手前まで道なりに進むだけである[6]。道路の通称名「真福寺道」の案内標識はこの区間にある。足助街道[7]から真福寺道に入って50メートルほど進んだあたりの北側に「是より真福寺薬師道 従是十二丁」と刻まれた道標がある。かつては自動車が通る車道としては行き違いが困難な幅員狭小の区間が多かったが、順次県道の拡張工事が進んで、現在では大型車どうしでも容易に行き違いができるようになった。伊豫田家具製作所の南側の直線道路は丘を切り開いて通りやすくしたバイパス路であって、旧道は巨石のある方向へぐるりと回り込む。この先をさらに東へ進むと駒立で、松平往還に連なっていた。

挙母方面からの経路編集

挙母(現在の豊田市)から矢作川を渡し舟で渡河し、細川に入って南下して足助街道を横切り、八ツ木の山を越えて真福寺に向かう道もあったという。この道は足助街道から分岐して挙母に至る街道の一つで、挙母道(ころもみち)とも呼ばれていた。岡崎観光きらり百選に選定されている松明院を始め、挙母道には寺社やお地蔵様が点在しており、狭い道筋に往古の面影を感じることができる[8]

接続する路線編集

  • 井田ルート
    • 井田観音で足助街道より分岐する
    • (主要地方道岡崎環状線により道筋が分断されている)
    • 大沼街道
    • 春日通り
  • 東蔵前ルート
  • 挙母道ルート

沿線・周辺編集

脚注編集

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  1. ^ 人々は万病に効くとされた真福寺の井戸の水を求めた。
  2. ^ 直進方向が足助街道、北西方向が大樹寺方面へ通じる道、北東方向が真福寺道である。
  3. ^ 途中、真福寺道・大樹寺道ともに愛知県道26号に分断されている(中央分離帯あり。交差点なし)。広く拡幅されている県道部分は道筋が焼失してしまっているが、よく確認すると向い側に道筋が連続していることが分かる。
  4. ^ この辺りは土砂採取等が行われている地域である。大人一人程度しか通れない幅の農道のような道になるので自動車での通行は不能。
  5. ^ 高速道路の建設により当該区間の道筋は消滅している。
  6. ^ 厳密にいうと岡崎市立岩津中学校の校庭を通っていた。
  7. ^ 東蔵前交差点を南北に通る道路は、自動車が通りやすいように付け替えられた道で、正確な足助街道は交差点の東側を南北に通る狭い旧道である。
  8. ^ 『上郷町誌』によれば、この道筋は奈良時代の東海道の経路の一部であったという。