真里谷円四郎(まりや えんしろう)は、江戸時代の剣客の武号名跡

1660年[1]、または1662年[2]上総国真理谷(現・千葉県木更津市)の豪族上総武田氏の末裔で、野州駒場村の産まれ[1]。前名は山名勝之助[2]義旭と名乗る[1]

19歳のときに無住心剣流の二代目小田切一雲に弟子入りし門下に入る[1][2]。小田切が無住心剣流初代針ヶ谷夕雲と立ち合い、負かしたことで二代目となったように、真里谷も25歳のときに小田切と二度立ち合い、二度とも勝ったことで、免許皆伝と無住心剣流三代目となる[1][2]。このとき、円四郎の名と無為軒の号を送られた[1]

以降、生涯千回を超える他流試合を行い、ただの一度も負けることがなかったといわれる[1][2][3]。門弟は1万人に及んだとも言われるが[1][3]、無住心剣流を継ぐ者は現れず、真里谷円四郎の代で途絶えることになった[1][2]

寛保2年2月4日1742年2月4日死去享年82[3]

無住心剣流は途絶えることになったが、真里谷円四郎の技は受け継がれ、幕末まで残った[1]

  • 初代 円四郎義旭
  • 二代目 円四郎義品[1]
  • 三代目 円四郎信栄[1]
  • 四代目 新右衛門信興[1]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 甲野善紀「(★12) 真里谷円四郎義旭」『「古(いにしえ)の武術」に学ぶ 身体は工夫次第で生まれ変わる』PHP研究所、2005年。ISBN 978-4569645384 
  2. ^ a b c d e f 「54 真里谷円四郎」『日本剣豪100人伝』学研プラス、2008年。ISBN 978-4059101123 
  3. ^ a b c 『剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想』ちくま学芸文庫、2009年4月8日 2009、[要ページ番号]頁。 

関連項目 編集