石川 宗忠(いしかわ むねただ、生年不明 - 1303年乾元元年2月1日))は、鎌倉時代武士駿河国重須郷の領主

初名は新兵衛。別名は道念日実。子は石川能忠。妻は南条時光の娘あるいは妹と伝わる。

生涯

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鎌倉御家人となって北条時宗に臣従して駿河国重須郷(現在の静岡県富士見市北山)などの地頭となる。法華信仰であったことから日蓮より「道念日実」と授戒された。日興の『弟子分本尊目録』でも「石河新兵衛入道道念者日興第一弟子也」と記録されている。また子の石川能忠北山本門寺の創建に携わった[1]

1303年乾元元年2月1日)、死去。ただし北山本門寺の大過去帳の記載では 1287年弘安10年)に没したとされる[2]

脚注

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  1. ^ 1989年,静岡県『静岡県史』
  2. ^ 2000年,平凡社『静岡県の地名』