石田造船
石田造船株式会社(いしだぞうせん、英: Ishida Shipbuilding Co., Ltd.)は、日本の造船会社。旧名は石田造船工業有限会社(いしだぞうせんこうぎょうゆうげんがいしゃ、英: Ishida Shipbuilding Industries Co., Ltd.)、石田造船建設株式会社(いしだぞうせんけんせつかぶしきがいしゃ、英: Ishida Shipbuilding and Construction Co., Ltd.)。
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 石田造船 |
本社所在地 |
日本 〒722-2322 広島県尾道市因島三庄町字宝崎2931番地の4[1][2] |
設立 | 1967年1月[3] |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 4240001037798 |
事業内容 |
鋼船、軽合金船、FRP船、木船等の 各種船舶の設計・建造・修理業[4] |
代表者 | 石田全功(代表取締役社長)[5] |
資本金 | 9990万円[6] |
外部リンク | http://www.ishida-zosen.co.jp/ |
概要
編集広島県尾道市に本拠地を置く造船会社である[7]。瀬戸内海に浮かぶ因島にて[1]、鋼船、軽合金船、FRP船、木船などを手掛けている[4]。
沿革
編集1919年(大正8年)5月、石田五左衛門が個人で創業した[8]。そのため、石田造船では1919年(大正8年)を創業年と位置付けている[9]。五左衛門は広島県御調郡三庄村で開業し[8][† 1]、当初は木船の修理を手掛けていた[10]。1950年(昭和25年)10月、石田光春が2代目の代表となった[8]。1967年(昭和42年)1月、石田造船工業有限会社が設立され[8]、石田光春が社長に就任した[8]。そのため、石田造船の設立年は1967年(昭和42年)とされる[3]。1992年(平成4年)10月、石田造船工業有限会社は石田造船建設株式会社に改組された[8]。2000年(平成12年)12月、石田全功が社長に就任した[8]。2011年(平成23年)4月、石田造船建設株式会社から石田造船株式会社に改称された[8]。平成から令和に改元された2019年(令和元年)5月1日に、創業100周年を迎えた[11]。
施設
編集造船ドックの外観は『機動戦士ガンダム』の「ホワイトベース」を模している[12]。日本放送協会の朝の連続テレビ小説『てっぱん』では、劇中に登場する「篠宮造船建設」としてロケ地となった[13]。また、例年8月に敷地内で「いんのしまサマーフェスティバル」を開催しており、日本で初めての造船ドックで開催される音楽祭として知られている[14]。
製品
編集石田五左衛門の創業当時は、主に木製の船舶の修理を手掛けていた[10]。その後、鋼製、軽合金製、繊維強化プラスチック製など[4]、さまざまな船舶の製造を手掛けるようになった[4]。愛媛県越智郡関前村に納品した「第二せきぜん」は、日本で初めての三胴型フェリーとして知られている。
略歴
編集建造した船舶
編集脚注
編集註釈
編集出典
編集- ^ a b 「所在地」『会社概要』石田造船。
- ^ 「最新情報」『石田造船株式会社の情報|国税庁法人番号公表サイト』国税庁、2018年5月16日。
- ^ a b 「設立」『会社概要』石田造船。
- ^ a b c d 「営業目的」『会社概要』石田造船。
- ^ 「代表者名」『会社概要』石田造船。
- ^ 「資本金」『会社概要』石田造船。
- ^ 「所在地」『会社概要』石田造船。
- ^ a b c d e f g h i j k l 「会社経歴」『会社概要』石田造船。
- ^ 「創業」『会社概要』石田造船。
- ^ a b 「歴史『萌芽』」『会社沿革』石田造船。
- ^ 「石田全功」『びんご経済レポート』備後レポート社、2019年5月10日。
- ^ 「『ガンダム工場』として親しまれている石田造船の石田全功さん」『第14回 「ガンダム工場」として親しまれている石田造船の石田全功さん<9/23>O.A | 海と日本PROJECT in 広島』日本財団、2016年10月26日。
- ^ 「因島の造船所ロケ準備——てっぱん向けに『社名変更』——石田造船建設進水式収録へ」『中國新聞』中国新聞社、2010年5月15日。
- ^ 「石田造船で8月1日——いんのしまサマーフェス開催——日本初のドック音楽祭に」『内航海運新聞』内航新聞社、2015年7月27日。