礒部王(いそべおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。左大臣・長屋王の孫で、桑田王の子。官位は従五位上・内匠頭。
聖武朝の神亀6年(729年)長屋王の変が発生し、祖父の左大臣・長屋王や父の桑田王が横死した際、礒部王は乳幼児であったと想定される[1]。
称徳朝の天平神護3年(767年)无位の諸王らに対して叙位が行われた際、礒部王は従五位下に叙爵する。神護景雲3年(769年)大監物に再任された。
光仁朝の宝亀5年(774年)多治比長野の後任として参河守を兼ね、宝亀7年(776年)従五位上に昇叙される。宝亀9年(778年)参河守を帯びたまま内匠頭に任ぜられた。
『続日本紀』による。
注記のないものは『本朝皇胤紹運録』による。