神祇院(じんぎいん)は、かつてあった日本の国家機関のひとつ。内務省の外局。

神祇院
日本語: 神祇院
組織の概要
設立年月日 1940年11月09日
継承前組織
  • 神社局
解散年月日 1946年02月02日
本部所在地 東京市麹町区霞ヶ関1-2
行政官
  • 安井英二(総裁)
  • 飯沼一省(副総裁)
上位組織 内務省
主な文書
  • SCAPIN-448
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昭和初期の神祇官興復運動、神祇特別官衙設置運動[1]を受けて、1940年(昭和15年)の皇紀2600年記念に際して設置された。敬神思想の普及に努めたが特に目立った成果をあげないまま、敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの神道指令を受けて、1946年(昭和21年)2月2日に廃止された。

神祇院の設置編集

神祇院官制(昭和15年勅令第736号)により、1940年(昭和15年)11月9日、内務省神社局が昇格し、同省の外局として設置される。所在地は東京市麹町区霞ヶ関一丁目二番地(内務省庁舎)[2]

総裁は内務大臣が兼務するものと定められ、初代総裁には安井英二内務大臣が就任。副総裁には、飯沼一省神社局長が就任し、廃止までその任に当たった。

総裁官房及び総務局、政務局が置かれ、神宮に関する事項、官国幣社以下神社に関する事項、神官および神職に関する事項、敬神思想の普及に関する事項を掌ることとされた。

神道指令と神祇院の廃止編集

1945年(昭和20年)12月15日にGHQが政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)を受け、神祇院は廃止されることとなった。 行政整理実施ノ為ニスル内務省官制中改正等ノ件(昭和21年勅令第59号)により、1946年(昭和21年)2月2日に神祇院は廃止され、被包括関係にない旧官国幣社の一部を除き神社の管轄の殆どは皇典講究所大日本神祇会神宮奉斎会によって翌日設立された宗教法人神社本庁に引き継がれた。


現代の参拝作法の確立編集

明治維新前は神仏習合の影響が大きく、拝礼の作法は地域によりさまざま(手を合わせて祈る、三拍手、四拍手など)[3]であったが、明治8年に式部寮から頒布された官国幣社祈年祭に関する要綱を定めた「神社祭式」に、「再拝拍手」と記されたことから統一化が始まり、現在の再拝二拍手一拝は、明治40年「神社祭式行事作法[4]が制定され、その中でひとつの作法が定義され、「再拝→二拍手→押し合せ→祝詞奏上→押し合せ→二拍手→再拝」という形式になり、昭和17年に内務省神祇院教務局祭務課が編集した「神社祭式行事作法」という書が明文社から発行され、敬禮(きょうらい、けいれい)及警蹕(けいひつ)の条項にて、「再拝、二拍手、一揖」「拍手の数を二とす」と記載し[5]昭和18年1月1日より施行され、「再拝二拍手一揖」現代の「二礼二拍手一礼」の素を神祇院が法制化し、[6][7]その後第二次世界大戦中、円滑な祭式作法を遂行するため軍隊で実践採用された経緯がある。

参照編集

  1. ^ 阪本是丸 『明治維新と国学者』 大明堂、1993年、193頁
  2. ^ 官報. 1940年11月09日 内務省告示第五百八十九號 昭和十五年一月九日
  3. ^ 島田 裕巳 神社で拍手を打つな! -日本の「しきたり」のウソ・ホント 出版社: 中央公論新社 (2019/11/7) P23
  4. ^ 国立国会図書館 デジタルコレクション 告示 / 内務省 / 第76号 / 神社祭式行事作法
  5. ^ 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社祭式行事作法 昭和17年 15頁
  6. ^ 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社祭式行事作法 昭和17年 1頁
  7. ^ 国立国会図書館 デジタルコレクション 神奈川県内政部 / 神社祭式行事作法解説 昭和18年 P21 22 23

参考文献編集

関連項目編集