禅林寺 (三重県菰野町)
三重県菰野町にある寺院
禅林寺(ぜんりんじ)は、三重県三重郡菰野町にある、臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は 瑞光山(ずいこうざん)。本尊は大日如来。
禅林寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 三重県三重郡菰野町下村191 |
位置 | 北緯35度01分21秒 東経136度32分38秒 / 北緯35.02250度 東経136.54389度座標: 北緯35度01分21秒 東経136度32分38秒 / 北緯35.02250度 東経136.54389度 |
山号 | 瑞光山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 大日如来 |
創建年 | 天智天皇5年(666年) |
開基 | 藤原鎌足 |
中興年 | 慶安2年(1649年) |
中興 | 鉄雙 |
正式名 | 瑞光山禅林寺 |
札所等 | 東海四十九薬師霊場 9番札所 |
法人番号 | 6190005009509 |
歴史
編集天智天皇5年(666年)聖徳太子の遺願により、藤原鎌足が創建し、当初は大強原山盧遮那寺と称し、七堂伽藍を有する、天台宗の寺院であった。元弘年間(1331年 - 1334年)後醍醐天皇に仕えた千種忠顕が、この地に堂宇を再建し、大日如来を安置して隆盛をきわめるが、応仁の乱(1467年)の兵火により焼失する[1]。
その後千種忠顕は、この地に城を構え禅林寺城と称する。正平年間(1346年 - 1369年)忠顕の次男、千種顕経の代に千種の地に千種城を築き、当寺を菩提寺として復興する。文亀3年(1503年)11月、5代目城主千種治庸が、普照大光禅師を招き再興する。このとき千種忠顕の称号であった、禅林寺宰相の名をとり、瑞光山禅林寺と称し臨済宗となるが、北勢の戦乱により寺領を失い、永禄11年(1568年)織田信長の兵火により焼失する[1][2]。
慶安2年(1649年)、桑名長寿院の鉄雙和尚が中興し、臨済宗の妙心寺派に属する[1]。
本堂は明治6年(1873年)菰野城廃城の際、藩邸の一部を移築して本堂に充てている。庫裏は嘉永3年(1850年)の建立[3]。
境内
編集文化財
編集- 菰野町指定有形文化財
周辺
編集アクセス
編集- 東名阪自動車道 四日市インターチェンジより北西へ約4km
- 近鉄菰野駅より北東へ約3km。
参考文献
編集- 菰野町『菰野町史 上』1987年、130頁。
- 菰野町『菰野町史 下』1997年、452・453頁。
- 冨永航来『東海四十九薬師巡礼』朱鷺書房、2000年、50 - 53頁。
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b c 冨永航来『東海四十九薬師巡礼』朱鷺書房、
- ^ 菰野町観光協会 三重こもの町 禅林寺(2010年4月18日閲覧。)
- ^ a b 菰野町『菰野町史 下』1997年、452・453頁。
- ^ 菰野町『菰野町史 上』1987年、130頁。
- ^ 菰野町観光協会 三重こもの町 歴史・文化・伝説 禅林寺大日如来像(2010年4月18日閲覧。)