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秋永月三

秋永 月三(あきなが つきぞう、1893年(明治26年)12月21日 - 1949年(昭和24年)4月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

秋永 月三
生誕 1893年(明治26年)12月21日
Flag of Japan (1870–1999).svg大日本帝国 大分県
死没 1949年(昭和24年)4月23日
日本の旗 日本
所属組織 War flag of the Imperial Japanese Army.svg大日本帝国陸軍
最終階級 陸軍中将
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経歴編集

1893年、大分県に生まれた。陸軍士官学校砲兵科第27期生、陸軍大学校第36期生であり、卒業後は陸軍省整備局課員となった。1937年9月、福岡県久留米市の陸軍第18師団司令部参謀となり、1939年8月1日に企画院調査官に就任した。任期中の1941年3月1日に陸軍少将へ昇進し、同年4月7日に企画院第1部長に就任した。1943年5月から9月まで、陸軍第17軍参謀長を務め、翌1944年10月26日に陸軍中将へ昇進した。戦争末期、日本の真の国力を知りたいという鈴木貫太郎首相からの意向を受けた内閣書記官長迫水久常(企画院時代の部下)が、その責任者として秋永を上申し、内閣綜合企画局局長に就任した[1]。秋永は鈴木の指示に従って綜合局で調査をおこない[1]、その結果はまとめられて1945年6月の最高戦争指導会議に『国力の現状』として提出された[2]

1949年死去。

脚注編集

  1. ^ a b 迫水久常『機関銃下の首相官邸』筑摩書房<ちくま学芸文庫>、2011年、pp.179 - 180
  2. ^ 『機関銃下の首相官邸』p.192

関連項目編集