秦 慧玉(はた えぎょく、1896年3月25日 - 1985年1月2日)は、日本の仏教学者駒澤大学教授。永平寺76世貫首、曹洞宗管長。号は「明峰」[1]

来歴 編集

兵庫県生まれ。5歳で秦慧昭について得度。曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。岐阜県正眼寺で修行。1923年東京帝国大学に入学。同年5月、宇井伯寿の勧めで、東北帝国大学に転学。武内義雄に師事し支那学を研究した。1926年東北帝国大学を卒業。同年9月、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)の教授となる。のち駒澤大学教授。

1976年に曹洞宗管長、永平寺76世貫首。1980年全日本仏教会会長就任。仏教を通して国際親善に尽力。1983年清水寺大西良慶貫主の本葬では大導師を務めた。著作に「新詩偈作法」「普勧坐禅儀講話」など。

1985年1月2日遷化、90歳[2][3]

出典 編集

  1. ^ 「本山世代表」(『新版 禅学大辞典』禅宗法系図p130、大修館書店、2003年)より
  2. ^ kotobank. “秦慧玉”. 2020年3月7日閲覧。
  3. ^ 大本山永平寺. “永平寺76世 秦慧玉禅師”. 2020年3月7日閲覧。

 

外部リンク 編集

先代
曹洞宗管長
1976 - 1985
次代
先代
山田霊林
永平寺 第76世貫首
1976 - 1985
次代
丹羽廉芳