稲葉通則

室町時代後期から戦国時代の武将。美濃の国人。稲葉通貞の長男。子に稲葉通勝、稲葉通房、稲葉通明、稲葉豊通、稲葉通広

稲葉 通則(いなば みちのり)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将

 
稲葉通則
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 寛正6年(1465年
死没 大永5年8月2日1525年8月30日
別名 右京亮、備中守(受領名)
戒名 守徳
墓所 守徳寺
主君 土岐頼芸
氏族 稲葉氏
父母 父:稲葉通貞、母:土岐成頼の養女
兄弟 通則通雄忠通通俊光朝常通通光通友
国枝正助の娘
通勝通房通明豊通通広深芳野良通
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生涯

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稲葉通貞の長男、父が高齢のため家督を継いだ[1]。主君の土岐頼芸石津郡牧田に駐屯していた浅井亮政を駆逐するために兵を出すと、それに従って牧田河原に出陣した。頼芸が浅井軍の急襲を受けて窮地に陥ると、その救援に赴いて頼芸を逃したが、長男の通勝をはじめとする息子たちや家臣数十人とともに討ち死にした[1]

唯一生き残った末子の良通によって菩提寺の守徳寺を建立されて葬られた[1]

出典

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  1. ^ a b c 寛政譜 1923, p. 170

参考書籍

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