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穴太寺(あなおじ)は、京都府亀岡市にある天台宗寺院。山号を菩提山(ぼだいさん)と称し、本尊は薬師如来、札所本尊は聖観世音菩薩西国三十三所第21番札所となっている。

穴太寺

穴太寺本堂
本堂

所在地 京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
位置 北緯35度0分24.03秒 東経135度32分57.09秒 / 北緯35.0066750度 東経135.5491917度 / 35.0066750; 135.5491917座標: 北緯35度0分24.03秒 東経135度32分57.09秒 / 北緯35.0066750度 東経135.5491917度 / 35.0066750; 135.5491917
山号 菩提山
宗派 天台宗
本尊 薬師如来
創建年 伝・705年慶雲2年)
開基 伝・大伴古麻呂文武天皇(勅願)
札所等 西国三十三所第21番
神仏霊場巡拝の道第130番(京都50番)
文化財 木造聖観音立像(重要文化財)
本堂・多宝塔ほか(府文化財)
庭園(府名勝)
伽藍(市文化財)
法人番号 7130005008036
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「あなおおじ」「あのうじ」「あなおうじ」と読まれることもあり、「穴穂寺」「穴生寺」とも表記された。

目次

歴史編集

宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。

穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。

文化財編集

 
多宝塔
 
仁王門
 
庭園
 
鎮守堂

重要文化財編集

  • 木造聖観音立像(伝・感世作) - 像高110センチメートル。鎌倉時代の作。1968年11月に盗難に遭い、未発見である。

堂宇・庭園等編集

境内には本堂・多宝塔などの建物と日本庭園があるが、いずれも江戸時代以降のものである。

  • 本堂 - 1735年再建、京都府指定文化財。内陣に鎌倉時代の作とされる木彫釈迦涅槃像が安置され布団が掛けられており、自分の病のある体の部分と同じ木造の体の部分を触ると参拝者の病気がよくなると伝わる[1][2]
  • 多宝塔 - 1804年再建、京都府指定文化財
  • 仁王門 - 江戸時代中期再建、京都府登録文化財
  • 鎮守堂 - 京都府登録文化財
  • 念仏堂 - 京都府登録文化財
  • 鐘楼 - 京都府登録文化財
  • 方丈・庫裏 - 京都府登録文化財
  • 方丈表門 - 京都府登録文化財
  • 穴太寺観音縁起 - 京都府指定文化財
  • 穴太寺庭園 - 江戸時代中期作庭、京都府指定文化財名勝
  • 穴太寺伽藍 - 亀岡市指定文化財

行事編集

1月3日、「福給会」(ふくたばえ、ふくたまえ)が催される。これは、300年以上続く伝統行事で、1から33番までの札3000枚を本堂から巻き、拾った番号によってくじが行なわれる。3枚だけ赤い札が入っており、それを拾った人は1年間幸せに過ごせるという。

御詠歌編集

かかる世に
生まれあふ身の
あな憂やと
思はで頼め
十声一声

札所編集

西国三十三所
20 善峯寺 -- 21 穴太寺 -- 22 総持寺
神仏霊場巡拝の道
129 岩船寺 -- 130 穴太寺 -- 131 籠神社

所在地編集

〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46

交通編集

  • JR嵯峨野線山陰本線亀岡駅から、
    昼間は20分毎の運行。57系統京都学園大学行は穴太口を通過するので注意が必要。
    • 京阪京都交通バス59系統穴太寺循環にて、穴太寺前下車徒歩1分
    昼間は1時間毎の運行。

周辺情報編集

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集