メインメニューを開く

章恵太后(しょうけいたいごう、984年 - 1036年11月30日)は、北宋の第3代皇帝真宗の側室。仁宗の養母で、章恵皇后諡号が贈られた。姓は楊氏

経歴編集

益州の人。12歳で韓王趙恒(のちの真宗)の邸に入り、側室となった。生まれた子供で長く生きた者はなかった。

真宗が即位すると、才人に封ぜられた。聡明で寛容な性格のため、劉美人(後の章献皇后)に重んじられた。大中祥符2年(1009年)正月に婕妤となり、同6年(1013年)正月に婉儀(従一品嬪)にいたった。劉氏の侍女李氏(後の李宸妃)が趙禎(のちの仁宗)を産んだ際、李氏から取り上げられて劉氏の子とされたが、楊婉儀は劉氏に代わって撫育した。趙禎は劉氏を「大娘娘」、楊氏を「小娘娘」と呼んだ。同7年(1014年)、劉氏が皇后に立てられると、楊氏も淑妃となった。

真宗が崩ずると、遺詔により楊氏が皇太妃となった。劉太后が薨ずると、遺詔により太后と尊称され、仁宗と家事や国事を討議した。景祐元年(1034年)、「保慶」の徽号が贈られた。景佑3年11月4日(1036年11月30日)、崩じた。荘恵とされた。慶暦4年11月、夫の諡を重ねて「章恵」と改諡された。

伝記資料編集

  • 宋史
  • 『宋会要輯稿』