仁宗 (宋)
仁宗(じんそう)は、北宋の第4代皇帝(在位:1022年3月23日 - 1063年4月30日)。父は第3代皇帝真宗、実母は真宗側室の李宸妃。真宗の皇后(章献明粛皇后)が嫡母となり、同じく側室の章恵太后のもとで養育された。
仁宗 趙禎 | |
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北宋 | |
第4代皇帝 | |
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王朝 | 北宋 |
在位期間 |
乾興元年2月19日 - 嘉祐8年3月29日 (1022年3月23日 - 1063年4月30日) |
都城 | 開封 |
姓・諱 |
趙受益 趙禎(立太子後) |
諡号 | 体天法道極功全徳神文聖武睿哲明孝皇帝 |
廟号 | 仁宗 |
生年 |
大中祥符3年4月14日 (1010年5月30日) |
没年 |
嘉祐8年3月29日 (1063年4月30日) |
父 | 真宗(第6子) |
母 | 李宸妃 |
后妃 |
皇后郭氏 慈聖光献皇后曹氏 温成皇后張氏 |
陵墓 | 永昭陵 |
年号 |
天聖 : 1023年 - 1032年 明道 : 1032年 - 1033年 景祐 : 1034年 - 1038年 宝元 : 1038年 - 1040年 康定 : 1040年 - 1041年 慶暦 : 1041年 - 1048年 皇祐 : 1049年 - 1054年 至和 : 1054年 - 1056年 嘉祐 : 1056年 - 1063年 |
人物 編集
乾興元年(1022年)、父の真宗の崩御に伴い幼くして即位。嫡母であった章献明粛皇后のもと、明道2年(1033年)まで垂簾聴政が行われる。英邁な資質を持った皇帝とされ、多くの人材を登用した。
当時は文治主義に偏重して軍事力が弱体化しており、西夏などの圧迫を受けるなど、対外的には危機的な状況が続いていた。仁宗は宋の常備軍の強化などの軍事力の増強を行なう一方で、西夏や遼に対しては銀をはじめとする貢物を贈ることで友好関係を維持する外交を展開した。しかしこの財源を確保すべく、重い賦税を民衆に強いることとなり、農村の荒廃と民衆叛乱を引き起こしている。
不安が高まる社会を改革すべく、改革を求める党派も出現し、後の新法・旧法の争いに代表される権力闘争の原型を形成した時代でもある。
嘉祐8年(1063年)、嗣子がないまま病死し、従子にあたる英宗が帝位を継いだ。
仁宗の治世の時代は、慶暦の治と称されている。
家族 編集
妻妾 編集
- 皇后(浄妃)郭氏、温成皇后張氏、光献皇后曹氏、皇后(美人)張氏[1]
- 昭懿貴妃張氏[2]、昭節貴妃苗氏(仁宗の乳姉妹)、昭淑貴妃周氏
- 徳妃楊氏、充儀尚氏、貴妃董氏、賢妃馮氏、徳妃兪氏、充儀朱氏
- 美人余氏[3]、彭城県君劉氏[2]、安福県君張氏[4]、仁和県君李氏[5]、楊易行[6]、御侍景氏、御侍黄氏[7]
男子 編集
- 趙昉(夭折) - 母は徳妃兪氏。
- 趙昕(夭折) - 母は昭節貴妃苗氏。
- 趙曦(夭折) - 母は充儀朱氏。
女子 編集
- 周国陳国大長公主(荘孝明懿帝姫) - 李瑋に降嫁し、また生別した。母は昭節貴妃苗氏。
- 徐国公主(荘和帝姫) - 母は徳妃兪氏。
- 鄧国公主(荘順帝姫) - 母は温成皇后。
- 鎮国公主(荘定帝姫) - 母は温成皇后。
- 楚国公主(荘禧帝姫) - 1歳で夭折し、公主の位号を追贈された。母は馮賢妃。
- 商国公主(荘宣帝姫) - 6日で夭折し、公主の位号を追贈された。母は楊徳妃。
- 魯国公主(荘夷帝姫)趙懿安 - 若くして尼僧となった。夭折し、公主の位号を追贈された。母は馮賢妃。
- 唐国公主(荘慎帝姫)趙幼悟 - 若くして尼僧となった。夭折。母は温成皇后。
- 陳国大長公主(荘斉帝姫) - 8歳で早世した。母は董貴妃。
- 秦国魯国大長公主(令徳景行帝姫) - 銭景臻(銭惟演の子の銭暄の子)に降嫁した。母は昭淑貴妃周氏。
- 兗国大長公主(賢懿恭穆帝姫) - 曹詩(曹彬の子の曹琮の孫で、曹牷の子)に降嫁した。母は董貴妃、養母は昭懿貴妃張氏。
- 燕国舒国大長公主(懿穆帝姫) - 郭献卿に降嫁した。母は昭淑貴妃周氏。
- 豫国公主(荘儼帝姫) - 2カ月で夭折し、公主の位号を追贈された。母は董貴妃。
廷臣 編集
在位中の宰相 編集
在位中に活躍した将軍 編集
登場作品 編集
- テレビドラマ
- 開封府〜北宋を包む青い天〜(2017年、演:ジャン・チャオ)
- 孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜(2020年、演:ワン・カイ)
- 大宋宮詞 〜愛と策謀の宮廷絵巻〜(2021年、演:鄭偉)