篠田 義一(しのだ ぎいち、1924年大正14年) - 2010年平成22年))は、日本陶芸家人間国宝長野県下伊那郡川路村(現在の飯田市大字川路)出身[1][2]

来歴

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生地は川路村だったが、父は松本市浅間に移って陶芸を営み、篠田もその下で育つ[2]。これにより旧制中学校在学中に陶芸家を志望した[2]

1942年(昭和17年)より、京都の陶芸家近藤悠三に師事した[1][2]。1946年(昭和21年)、松本市浅間に登窯を築く[3]

1940年代後半に日展に初入選した[注釈 1]。以来、1961年まで出展し毎年入選を果たす[1]

1953年(昭和28年)、28歳で長野県展の審査員に就任し、以後「信州を代表する陶芸家」とも呼ばれた[1][2]

1962年(昭和37年)、日本伝統工芸展に入選し、日本工芸会正会員となる[3]

1964年に朝日陶芸展の審査員を初めて務め、以降27回選出される(1968年に審査委員長就任)[3][1]。1965年に長野県文化使節として渡米し、陶芸展を開催する[3]。以後、生涯の外国訪問は17回だった[3]

1970年(昭和45年)、日本伝統工芸新作展審査員に就任し、以後7回選任される[3]。同年、ビエンナーレ国際陶芸展(フランス)に招待された[3]。1973年(昭和48年)、中国国際陶芸展審査員に就任した(以後6回選任)[3]

1982年、朝日新聞社より表彰を受ける[3]

1991年(平成3年)には松本市文化芸術功労者、1992年(平成4年)には長野県文化芸術功労者に、それぞれ選出された[3]

2010年(平成22年)、死去した[要出典]

没後の2024年1月23日、テレビ東京系で放送された『開運!なんでも鑑定団』の出張鑑定(長野県小諸市)において篠田の作品「金彩花瓶」が鑑定に出され鑑定依頼人の希望金額35万円を上回る60万円で鑑定された(鑑定士は森由美)[4]

賞歴

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  • 1958年 - 朝日陶芸賞[3]
  • 1961年 - 日本陶磁器協会賞[3]
  • 1964年 - 日本伝統工芸新作展日本工芸会長賞[3]
  • 1965年 - 日本伝統工芸新作展優秀賞[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 初入選時期について、北アルプス展望美術館は「1948年」[2]、長野県陶芸作家協会及び春鼎庵は「1949年」とする[1][3]

出典

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  1. ^ a b c d e f 篠田義一(しのだ ぎいち)”. 春鼎庵. 2024年1月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f ~作家紹介~篠田 義一”. 北アルプス展望美術館. 2024年1月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 篠田 義一 --池田町-- - 長野県陶芸作家協会
  4. ^ 篠田義一の金彩花瓶|開運!なんでも鑑定団|テレビ東京”. テレビ東京. 2024年1月24日閲覧。