紀元前14世紀
紀元前1400年から紀元前1301年までの100年間
(紀元前1400年から転送)
紀元前14世紀(きげんぜんじゅうよんせいき)は、西暦による紀元前1400年から紀元前1301年までの100年間を指す世紀。
千年紀: | 紀元前2千年紀 |
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世紀: | 前15世紀 - 紀元前14世紀 - 前13世紀 |

アマルナ芸術。エジプト第18王朝の王アメンホテプ4世はアトン神信仰による宗教改革を断行した。都もテーベからテル・エル・アマルナに遷され、この地でエジプトにあっては例外的な写実的な芸術が花開いた。画像は王妃ネフェルティティの胸像(ベルリン新美術館(ノイエス・ムゼウム))蔵。

ツタンカーメン王墓。アマルナからテーベに還都した少年王ツタンカーメンはその短い治世も相俟って長らく忘れられた存在であった。しかしイギリス人考古学者カーターによって1922年に発見されたほとんど盗掘されていない王墓と埋葬品の数々は驚きをもって迎え入れられた。画像はツタンカーメン王の黄金のマスク(カイロのエジプト考古学博物館蔵)。
出来事編集
紀元前1400年代編集
- 紀元前1400年頃
紀元前1390年代編集
- 紀元前1390年頃 - カッシート王クリガルズ1世が「ドゥル・クリガルズのジッグラト」を建設。
- 紀元前1390年頃 - 紀元前1700年頃 - デンマークのヴァイレ近郊に「エクトヴィズガール」が埋葬される。
紀元前1380年代編集
- 紀元前1386年頃 - エジプトでアメンホテプ3世が即位。以後40年近い支配を継続。
- 紀元前1384年 - 殷の般庚が安陽に遷都する。
- 紀元前1380年頃 - シリアの山岳地域にアブディ・アシルタを王とするアムル王国が建国される。
紀元前1370年代編集
- 紀元前1373年3月27日 - 甲骨文から殷の盤庚の治世中の支配地域において、月食があった事が確認されている。
紀元前1350年代編集
- 紀元前1350年頃
- エジプトでアメンホテプ3世が死去。息子のアメンホテプ4世(アクエンアテン)が即位。
- エジプトのテーベの神官であるネブアメンの墓が作られる(墓の壁画は大英博物館その他が所蔵)。
- トルコ南部アンタルヤ県のウルブルン岬で交易船が沈没する(ウルブルン沈没船)。
- この沈没船の船体は1982年に発見され、現時点では世界最古の沈没船とされている。
- ヒッタイト王シュッピルリウマ1世がミタンニの都ワシュカンニを攻撃。
- ミタンニは敗走し、その途中でトゥシュラッタ王は息子の一人に殺される。
- この混乱でヒッタイトはアルタタマ2世を、アッシリアはシュッタルナ3世をミタンニの新王に擁立し対立。
- ヒッタイトがアッシリアに勝利しミタンニの新王シャッティワザを擁立し条約を締結。
紀元前1340年代編集
紀元前1330年代編集
- 紀元前1334年頃 - アメンホテプ4世とスメンクカーラーが死去。ツタンカーメン王の即位。
- この時期までにアマルナからテーベに還都。アメン神信仰が復活しアテン神信仰は廃絶する。
- 紀元前1330年頃 - ミタンニの支配下にあったアッシリア王アッシュール・ウバリト1世が独立(中アッシリア時代)。
紀元前1320年代編集
- 紀元前1325年頃 - ツタンカーメン死去。残された王妃アンケセナーメンと結婚した王族のアイが即位。
- 紀元前1320年頃 - エジプトからの疫病によりヒッタイト王シュッピルリウマ1世が死去。息子のアルヌワンダ1世が即位。
紀元前1310年代編集
- 紀元前1319年頃 - エジプト王アイ死去。将軍ホルエムヘブが王女ムトノメジットを娶って王となり、アマルナ時代の諸王の事績を抹消する。
- 紀元前1312年頃 - ヒッタイト王ムルシリ2世の治世9年頃の日食が記録されている。
- 紀元前1310年頃 - エジプト「死者の書」の代表作『フネフェルのパピルス』が作られる。
紀元前1300年代編集
- 紀元前1300年代後半 - ブルガリアの「ヴァルチトランの遺宝」が埋蔵される( - 紀元前1200年代前半)。
発明と発見編集
人物編集
フィクションのできごと編集
脚注編集
注釈
出典