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他の紀年法編集

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できごと編集

ギリシア編集

エジプト編集

  • 幼い王プトレマイオス6世の後見人がコイレ・シリアのエジプト支配下への復帰を要請すると、セレウコス朝の王アンティオコス4世はエジプトへの先制攻撃を決意し、アレクサンドリア以外の全てを征服した。彼はまたプトレマイオス6世も捕虜にした。
  • アンティオコス4世は、プトレマイオス6世によるエジプト支配の継続を認めたが、彼の操り人形としてだった。彼は、彼の侵略に対してのローマ帝国からの反応を最小限に抑えるためにこのようなことを行った。アンティオコス4世はその後パレスチナの動乱を沈めるためにエジプトを発ったが、エジプトはペルシウムの強力な守備隊に守られた。
  • アンティオコス4世が国を空けている間に、アレクサンドリア市民はプトレマイオス6世の弟であるプトレマイオス8世を王に選んだ。プトレマイオス兄弟は、姉妹のクレオパトラ2世とともにエジプトを共同で統治することに合意し、コエレ・シリアを侵略した。

セレウコス朝編集

  • 追放されたユダヤ教司祭のジェイソンは、2年前に失った司祭の地位を主張し続けていた。アンティオコス4世がエジプトに対して戦争を起こすと、彼はエルサレムの導師の地位につき、彼を追放した司祭に対して兵を起こした。

バクトリア編集

誕生編集

死去編集

脚注編集

注釈

出典

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関連項目編集