光仁朝の宝亀9年(778年)正月、多治比人足・文室八島・三島大湯坐・阿倍石行・紀作良・紀家継らとともに正六位上から従五位下へ叙爵し、同年2月、紀犬養の後任の大蔵少輔に就任。その後、同11年(780年)3月、備後守、桓武朝の天応2年(783年)6月、正月王と官職を交替し、土佐守と地方官を歴任している。
注記のないものは『続日本紀』による。
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