紀長田麻呂
紀 長田麻呂(き の おさだまろ)は、平安時代初期の貴族。式部大輔・紀古麻呂の曾孫。相模介・紀稲手の子[1]。官位は従四位上・宮内大輔。勲等は勲七等。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 天平勝宝7歳(755年) |
死没 | 天長2年6月9日(825年6月28日) |
官位 | 従四位上・宮内大輔 |
主君 | 平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀稲手 |
経歴編集
平城朝の大同3年(808年)筑前守、次いで大宰少弐に任ぜられる(この時の位階は従五位下)。
弘仁3年(812年)玄蕃頭、弘仁4年(813年)治部少輔・治部大輔次いで宮内大輔と嵯峨朝初頭は京官を歴任。弘仁6年(815年)従五位上・備前介に叙任されると、弘仁10年(819年)正五位下、弘仁14年(823年)従四位下から従四位上に昇叙されるなど、嵯峨朝後半以降は順調に昇進を果たしている。
人物編集
史書を学んでいなかったが、ちょっとした技を多く身につけていた。清貧に満足し、名声や利益を追い求めることはなかった。いわゆる、青松の下必ず清風あり、といった清らかな雰囲気の人物であった[1]。
官歴編集
『日本後紀』による。