他の紀年法編集

できごと編集

 
ヴェルシニキアの戦い
14世紀の『マナッセス年代記ドイツ語版』より。
 
東ローマ皇帝レオーン5世
ヨハネス・スキュリツェスが著した『スキュリツェス年代記 (Synopsis Historion)』の現存写本マドリード・ スキュリツェス英語版」(通称)の挿絵
東ローマ帝国の都市アドリアノープル(現・エディルネ)の北に所在するヴェルシニキアの小要塞に布陣したクルムハーン率いる第一次ブルガリア帝国軍を、東ローマ皇帝ミカエル1世ランガベーの軍が攻めるも、大敗を喫す。
:ヴェルシニキアの戦いの後、クルム軍はただちに都市アドリアノープルや東ローマ帝国首都コンスタンティノポリス包囲戦を開始。結果、補給を絶たれたアドリアノープルは降伏する(月日不明)。
:先帝ミカエル1世ランガベー修道院送りとなる。


日本編集

誕生編集

死去編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ ハドリアノポリスの戦いは、英語名に基づいて「アドリアノープルの戦い」とも呼ばれる。

出典編集

関連項目編集