綾部城(あやべじょう)は佐賀県三養基郡みやき町原古賀に存在した山城。足利一門の渋川氏が、九州探題府兼肥前守護所の拠点としていた。

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綾部城
佐賀県
城郭構造 山城
築城年 12世紀以前
主な城主 綾部氏
渋川氏
筑紫氏
龍造寺氏
廃城年 不明
位置 北緯33度21分40.3秒 東経130度26分24.7秒 / 北緯33.361194度 東経130.440194度 / 33.361194; 130.440194
地図
綾部城の位置(佐賀県内)
綾部城
綾部城
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概要編集

みやき町綾部神社裏にある標高128mの丘陵に設けられた。筑後川に近く日の隈山朝日山などの山々と連なり、博多への間道をおさえる要所にあたった。主な支城として、西側に白虎山城臥牛城があった。

平安・鎌倉時代編集

藤原通良平治の乱に呼応して綾部城で挙兵していることから、この頃までには存在していた。文治3年(1187年)に通良の子・藤原通俊に綾部荘が与えられ、通俊は綾部氏に改姓して以後は当城を代々の居城とした。

室町・戦国時代編集

室町時代から戦国時代にかけては肥前守護所である綾部館の詰城として足利一門の一色氏今川氏が居城していた。応永9年(1402年)ごろに、足利一門の渋川満頼が拠点として以降、九州探題と肥前守護を兼任した渋川氏の代々の居城となった。

海東諸国記』によれば、

 九州節度史(九州探題)は、肥前州綾部に居す。……民居一千余戸、正兵二百五十余なり。九州の兵を総治す。

とあるが、当時の渋川氏は東肥前の一勢力に衰退していた。渋川氏は中国地方の大内氏の後援を受けて、敵対する少弐氏菊池氏と戦い、しばしば筑前に逃れている。

この頃の綾部氏は渋川氏に従っていたが、天文3年(1534年)に渋川氏は滅んでいる。

元亀2年(1571年)に綾部鎮幸龍造寺隆信に敗れると筑紫氏が入り、後に龍造寺氏に譲られている。

なお、近隣の少弐山城を綾部城と呼ぶことがあり、戦国時代には少弐氏の一門である馬場氏の居城となった。

関連項目編集