織田正信
政治家
織田 正信(おりた まさのぶ、1921年〈大正10年〉12月1日[1] - 1955年〈昭和30年〉9月19日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。妻は後に料亭照川を経営する勝野照代[3]。実業家、元衆議院議員の大神善吉は妻の叔父[3]。
経歴
編集香川県木田郡牟礼村出身[4][5]。1946年東京文理科大学教育学科卒[2][5]。卒業後は公正新聞主幹となる[2][5]。
1947年の第23回衆議院議員総選挙において香川1区から諸派(救国青年連盟)で立候補して当選した[5][6]。当選時は25歳4か月25日と衆議院議員では最年少となり、この記録は2000年の第42回衆議院議員総選挙で原陽子が25歳4か月15日で当選するまでの53年間、破られなかった。
1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選[6]。1952年の第25回衆議院議員総選挙では協同党公認で立候補したが落選した[6]。
脚注
編集関連文献
編集- 『松明の如くに 織田正信遺稿追悼文集』中央公論事業出版、1984年。
参考文献
編集関連項目
編集名誉職 | ||
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先代 三木キヨ子 |
最年少衆議院議員 1947年 - 1949年 |
次代 天野公義 |