第25回衆議院議員総選挙
1952年に行われた日本の衆議院選挙
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第25回衆議院議員総選挙(だい25かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1952年(昭和27年)10月1日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
第25回衆議院議員総選挙 | |||
---|---|---|---|
内閣 | 第3次吉田内閣 | ||
解散日 | 1952年(昭和27年)8月28日 | ||
解散名 | 抜き打ち解散 | ||
公示日 | 1952年(昭和27年)9月5日 | ||
投票日 | 1952年(昭和27年)10月1日 | ||
選挙制度 | 中選挙区制 | ||
改選数 | 466() | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満20歳以上の日本国民 | ||
有権者数 | 4677万2584人 | ||
投票率 | 76.43%(2.39%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 自由党 | 改進党 |
日本社会党 (右派) |
党首 | 吉田茂 | 重光葵 |
(浅沼稲次郎) [注 1] |
就任日 | 1950年3月 | 1952年6月 | 1951年10月 |
前回選挙 | 新党 | 新党 | 48 |
選挙前議席 | 285 | 67 | 30 |
獲得議席 | 240 | 85 | 57 |
増減 | 45 | 18 | 27 |
得票数 | 1681万434票 | 645万3028票 | 405万7241票 |
得票率 | 47.57% | 18.26% | 11.48% |
得票率増減 | 新 | 新 | 2.02% |
党順 | 第4党 | 第5党 | |
画像 | |||
党色 | |||
党名 |
日本社会党 (左派) | 労働者農民党 | |
党首 | 鈴木茂三郎 | 黒田寿男 | |
就任日 | 1951年10月 | 1948年12月 | |
前回選挙 | 48 | 7 | |
選挙前議席 | 16 | 4 | |
獲得議席 | 54 | 4 | |
増減 | 38 | ||
得票数 | 345万601票 | 26万1190票 | |
得票率 | 9.76% | 0.74% | |
得票率増減 | 3.74% | 1.24% | |
選挙状況 | |||
| |||
< 1949年1953年 > | |||
概要
編集旧衆議院議員選挙法と参議院議員選挙法の統合及び地方自治体の首長、教育委員の公選制導入(この内、教育委員公選制は1956年に廃止)を目的として1950年に制定された公職選挙法に基づいて実施された最初の総選挙である。
選挙の結果、与党の自由党は240議席と過半数(234議席)を辛うじて上回ったが、与野党は伯仲した。また、日本共産党は50年問題における所感派と国際派の分裂及び51年綱領に伴う非合法行動により支持を失い、公認候補が全員落選し、全ての議席を失った。
またサンフランシスコ平和条約発効による公職追放令廃止により公職追放を解除された政治家が立候補できたため、その多数が当選して国政に復帰することとなった。
選挙データ
編集内閣
編集- 選挙時:第3次吉田内閣 第3次改造内閣(第49代)
- 選挙後:第4次吉田内閣(第50代)
- 内閣総理大臣:吉田茂(自由党総裁)
- 与党:自由党
解散日
編集解散名
編集公示日
編集投票日
編集改選数
編集- 466( )
選挙制度
編集- 中選挙区制
- 3人区:40( )
- 4人区:39( )
- 5人区:38( )
投票方法
編集選挙権
編集- 満20歳以上の日本国民
被選挙権
編集- 満25歳以上の日本国民
- 昭和生まれはこの選挙から立候補が可能になる。
有権者数
編集- 46,772,584(男性:22,312,761 女性:24,459,823)
同日実施の選挙等
編集- 国民投票
選挙活動
編集党派別立候補者数
編集党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | 公示前 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | ||||||
自由党 | 475 | 256 | 104 | 115 | 472 | 3 | 285 | |
改進党 | 209 | 60 | 90 | 59 | 206 | 3 | 67 | |
日本社会党(右派) | 109 | 30 | 41 | 38 | 104 | 5 | 30 | |
日本社会党(左派) | 96 | 16 | 20 | 60 | 95 | 1 | 16 | |
日本共産党 | 107 | 18 | 5 | 84 | 103 | 4 | 22 | |
労働者農民党 | 11 | 4 | 1 | 6 | 9 | 2 | 4 | |
諸派 | 41 | 4 | 5 | 23 | 41 | 0 | 9 | |
無所属 | 166 | 1 | 33 | 132 | 160 | 6 | 4 | |
総計 | 1,243 | 393 | 318 | 532 | 1,217 | 26 | 437 | |
出典:『朝日選挙大観』 |
選挙結果
編集党派別獲得議席
編集党派 | 獲得 議席 |
増減 | 得票数 | 得票率 | 公示前 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
自由党 | 240 | 45 | 16,810,434 | 47.57% | 285 | ||
改進党 | 85 | 18 | 6,453,028 | 18.26% | 67 | ||
日本社会党(右派) | 57 | 27 | 4,057,241 | 11.48% | 30 | ||
日本社会党(左派) | 54 | 38 | 3,450,601 | 9.76% | 16 | ||
労働者農民党 | 4 | 261,190 | 0.74% | 4 | |||
日本共産党 | 0 | 22 | 896,764 | 2.54% | 22 | ||
諸派 | 7 | 2 | 952,501 | 2.69% | 9 | ||
無所属 | 19 | 15 | 2,454,945 | 6.95% | 4 | ||
欠員 | 0 | 29 | - | - | 29 | ||
総計 | 466 | 35,336,704 | 100.0% | 466 | |||
有効票数(有効率) | 35,336,704 | 98.84% | |||||
無効票・白票数(無効率) | 413,019 | 1.16% | |||||
投票者数(投票率) | 35,749,723 | 76.43% | |||||
棄権者数(棄権率) | 11,022,861 | 23.57% | |||||
有権者数 | 46,772,584 | 100.0% | |||||
出典:総務省統計局 戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移 |
- 投票率:76.43%(前回比: 2.39%)
- 【男性:80.46%(前回比: 0.28%) 女性:72.76%(前回比: 4.79%)】
党派別当選者内訳
編集党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | |||||
自由党 | 240 | 132 | 56 | 52 | 238 | 2 | |
改進党 | 85 | 37 | 38 | 10 | 84 | 1 | |
日本社会党(右派) | 57 | 26 | 25 | 6 | 53 | 4 | |
日本社会党(左派) | 54 | 16 | 13 | 25 | 53 | 1 | |
労働者農民党 | 4 | 3 | 1 | 0 | 4 | 0 | |
日本共産党 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
諸派 | 7 | 2 | 3 | 2 | 6 | 1 | |
無所属 | 19 | 1 | 4 | 14 | 19 | 0 | |
合計 | 466 | 217 | 140 | 109 | 457 | 9 | |
出典:『朝日選挙大観』 |
政党
編集- 2議席(2団体)
- 1議席(3団体)
議員
編集当選者
編集自由党 改進党 日本社会党(右派) 日本社会党(左派) 労働者農民党 協同党 日本再建連盟 諸派 無所属
補欠当選等
編集年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1953 | 1.5 | 佐賀全県区 | 繰上補充 | 元 | 江藤夏雄 | 自由党 | 愛野時一郎 | 改進党 | 1952.12.31死去 |
出典:戦後の補欠選挙 |
初当選
編集- 計109名
- ○:貴族院議員経験者
- ●:参議院議員経験者
- 自由党
-
- 52名
- 改進党
-
- 10名
- 日本社会党(右派)
-
- 6名
- 日本社会党(左派)
-
- 25名
- 諸派
-
- 2名
- 無所属
-
- 14名
返り咲き・復帰
編集- 計140名
- 自由党
-
- 56名
- 改進党
-
- 38名
- 日本社会党(右派)
-
- 25名
- 日本社会党(左派)
-
- 13名
- 労働者農民党
-
- 1名
- 館俊三 (北海道3区)
- 諸派
-
- 3名
- 無所属
-
- 4名
引退・不出馬
編集- 計44名
- 自由党
-
- 29名
- 改進党
-
- 7名
- 日本共産党
-
- 4名
- 諸派
-
- 1名
- 羽田野次郎(大分1区)
- 無所属
-
- 3名
落選
編集- 計176名
- 自由党
-
- 124名
- 苫米地英俊(北海道1区)
- 宇野秀次郎(北海道1区)
- 田中元 (北海道3区)
- 冨永格五郎(北海道3区)
- 夏堀源三郎(青森1区)
- 奈良治二 (青森2区)
- 山本猛夫 (岩手1区)
- 庄司一郎(宮城1区)
- 安部俊吾 (宮城1区)
- 角田幸吉 (宮城2区)
- 村上清治 (秋田2区)
- 牧野寛索 (山形1区)
- 鹿野彦吉 (山形1区)
- 図司安正 (山形2区)
- 志田義信 (山形2区)
- 大内一郎 (福島1区)
- 今泉貞雄 (福島1区)
- 松本善壽 (福島1区)
- 円谷光衛 (福島2区)
- 江花静 (福島2区)
- 関内正一 (福島3区)
- 小野瀬忠兵衛(茨城1区)
- 北沢直吉 (茨城3区)
- 鈴木明良 (茨城3区)
- 尾関義一 (栃木1区)
- 川西清 (兵庫3区)
- 堀川恭平 (兵庫4区)
- 佐々木盛雄(兵庫5区)
- 井上信貴男(奈良全県区)
- 今村長太郎(和歌山1区)
- 田淵光一 (和歌山2区)
- 門脇勝太郎(鳥取全県区)
- 稲田直道 (鳥取全県区)
- 若林義孝 (岡山1区)
- 宮原幸三郎(広島2区)
- 中川俊思 (広島2区)
- 高橋等 (広島3区)
- 船越弘 (広島3区)
- 坂本実 (山口1区)
- 柏原義則 (徳島全県区)
- 真鍋勝 (徳島全県区)
- 玉置実 (香川1区)
- 島田末信 (香川2区)
- 大西弘 (愛媛1区)
- 川端佳夫 (愛媛1区)
- 小西英雄 (愛媛2区)
- 薬師神岩太郎(愛媛3区)
- 中村純一 (愛媛3区)
- 守島伍郎 (福岡1区)
- 淵上房太郎(福岡2区)
- 改進党
-
- 23名
- 日本社会党(右派)
-
- 4名
- 日本共産党
-
- 18名
- 労働者農民党
-
- 1名
- 中原健次 (岡山2区)
- 諸派
-
- 6名
- 浦口鉄男 (北海道1区)[注 7]
- 小平忠 (北海道4区)[注 4]
- 小林進 (新潟3区)[注 4]
- 足立梅市 (三重2区)[注 8]
- 世耕弘一 (和歌山2区)[注 9]
- 佐竹晴記 (高知全県区)[注 4]
記録的当選・落選者
編集選挙後
編集国会
編集- 衆議院副議長選挙(1952年10月24日)
- 第1回投票(投票者数:455 過半数:228)
- 決選投票(投票者数:453 過半数:227)
- 岩本信行 (自由党) :226票
- 佐伯宗義 (改進党) :210票
- 無効 : 17票
- 内閣総理大臣指名選挙(1952年10月24日)
- 衆議院議決(投票者数:457 過半数:229)
政党
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脚注
編集注釈
編集当選者注釈
編集- 自由党
- 改進党
- 右派社会党
- 左派社会党
- 日本共産党
- 労働者農民党
- 諸派
- 無所属
- 辞職・失職・死去
出典
編集関連項目
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
- 石川真澄・山口二郎著『戦後政治史』岩波新書、2010年
- 上條末夫 (1990年3月). “衆議院総選挙における女性候補者” (PDF). 駒沢大学法学部研究紀要. 2020年2月閲覧。
- 神田広樹 (2014年6月). “戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移” (PDF). 国立国会図書館. 2019年10月閲覧。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
- 衆議院議員総選挙一覽. 第25回 - 国立国会図書館デジタルコレクション
外部リンク
編集- 衆議院議員総選挙の定数,立候補者数,選挙当日有権者数,投票者数及び投票率(明治23年~平成17年) - 総務省統計局アーカイブ