織田 絆誠(おだ よしのり、本名:金 禎紀(きん よしのり)、1966年10月23日 - )は、在日韓国人ヤクザ指定暴力団絆會の会長。

人物編集

在日韓国人3世として大阪市に生まれる、5つ上の姉と2つ上の兄がいる[1]

祖父は韓国済州島出身で「大阪府協和会」の副会長だった金燕西[1]

父親は「織田新一」という通名のヤクザで酒梅組傘下の張本組組長・張本正来と兄弟分だった[1]

18歳の時父親が服役し、張本組に預けられヤクザになった、数年後に若頭にまで抜擢されるが「山口組と喧嘩するな」を不文律とする酒梅組に嫌気が差し、指詰めをして脱退。1988年、織田の幼少時からの憧れであった四代目山口組倉本組組長・倉本広文(柳川組出身)から盃をもらい倉本組の若衆となった[2]

1990年に起きた抗争事件山波抗争」に参加し、銃撃事件の首謀者として逮捕、懲役12年の判決を受けて徳島刑務所に服役している[3]

モットーは「ヤクザはヤクザらしく」[4][5]

関連項目編集

出典編集

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