良岑 美並(よしみね の みなみ?、生没年不詳)は、平安時代ごろの貴族。別名・椋橋美並良岑恒則の嫡男で、良岑頼利の父である。

 
良岑美並
時代 平安時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 椋橋美並
官位 従六位上丹羽郡大領
氏族 良岑氏
父母 父:良岑恒則
母:?
良岑時頼、源蕃平室、紀理綱室、良岑頼利、忍性
テンプレートを表示

人物

編集

美並は、尾張国丹羽郡郡司・良岑恒則の子に生まれる[1]延暦4年(904年)から天暦9年(955年)まで郡務にあたったとされる。美並の子孫である良岑高成上総守)は、良岑氏流前野氏の始祖・前野高長の父である。高成の娘で高長の妹にあたる人物は平忠盛側室となり、平忠度を生んだとされている[1]。良岑氏は桓武天皇百済永継の子である良岑安世を祖とする氏族[1] で、種別としては皇別に分類される。本貫は山城国で、後裔には児玉丹羽氏や良岑氏流前野氏などがある。この美並も良岑安世の子孫にあたる。


系譜

編集
  • 父:良岑恒則
  • 母:不詳
  • 妻:伴清助(伴善男の孫)の娘
    • 男子:良岑時頼(元利親王に仕える)
    • 女子:大膳大夫 源蕃平の妻(出雲守為尭の母)
    • 女子:三河守 紀理綱の妻(左京亮傳相の母)
    • 男子:良岑頼利
    • 男子:忍性(権律師)

良岑氏系図

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c 尊卑分脈及び良岑氏系図