茨田郡王(まんたのこおりのおう、生没年不詳)は、奈良時代皇族。系譜は不明。茨田女王と同一人物だとされる。文室智努の室。位階従四位下

生涯 編集

茨田女王としては、聖武朝天平11年(739年)正月、小長谷女王坂合部女王陽侯女王藤原吉日大宅諸姉などとともに、無位から従四位下に昇叙されている[1]

史書に登場するのはこれだけであるが、「茨田郡王」として夫の文室智努天平勝宝7歳(753年)7月に亡き妻を偲び、壇主となって残した仏足跡薬師寺に伝わっており、それによると、法名は良式となっている[2]

官歴 編集

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本紀』巻第十三、聖武天皇 天平11年正月13日条
  2. ^ 『寧楽遺文』下巻974頁

参考文献 編集

関連項目 編集